近代的避妊法「ピル」はどうやって開発されたのか (1/2ページ)

まいじつ

近代的避妊法「ピル」はどうやって開発されたのか

近代的避妊法開発の歴史は、女性解放の歴史と一致する。つい最近まで女性は自らの意思で中絶することは許されていなかった。性と生殖は一体で、家族が承認の上でだけ許されることであり、女性が、家族が認めない異性と行う性行為および生殖は、近代国家への反逆にほかならなかったのである。

そんな社会で避妊薬ピル開発への偏見は凄まじいものがあった。ピルを解禁すれば女性の性が乱れる…女性が性的関心を抱くことさえ快く思わない男性にとってピルはまさに目の敵。ピルの開発…それは、女性が男性から“真の自由”を獲得する闘いでもあった。

そんな状況下、世界で初めて経口避妊薬ピルを開発したのがグレゴリー・ピンカス(Gregory Pincus)だ。

1903年、ユダヤ系ロシア移民の子として生まれたピンカスは、自分が色盲だったために遺伝学に興味を持ち、研究に勤しんだ。24歳で博士号、28歳にはハーバード大学助教授に就任。そして1934年、31歳のとき、ついにウサギの試験管ベイビーの誕生を成功させる。このことによりピンカスはたちまち時代の寵児となったのである。

しかし「ウサギの実験を人には応用しない」と発言したにもかかわらず、新聞の誤植のせいで「人に応用する計画がある」と報じられてしまい、“アメリカのドクター・フランケンシュタイン”などと呼ばれるほどの大騒ぎになってしまった。

このことが原因で大学から追い出されたピンカスのもとに、避妊普及運動の先駆者であるマーガレット・サンガー女史から「便利で安価で効果的な避妊薬を作ってほしい」と依頼が届く。IQが210という大天才のピンカスは、夫の精神病に悩む大富豪から多額の開発費用の援助を受けるなどし、いろいろな人の協力もあって難なくピルの開発に成功したのだった。

そしてピンカスは、ピル開発の成功を受けて国際家族計画連合の初代会長となった。だが、保守派に対する怯えから特許を取らなかったため、製薬会社にピルの利権をすべて奪われてしまったという。よくよく運のない男である。

さて、そのピンカスにピルの開発を依頼したサンガー女史とはいかなる人物だったのか…。

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