科学の名の元にとは言うものの...後にマッドサイエンティストと呼ばれた10人の科学者とその研究内容

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科学の名の元にとは言うものの...後にマッドサイエンティストと呼ばれた10人の科学者とその研究内容
科学の名の元にとは言うものの...後にマッドサイエンティストと呼ばれた10人の科学者とその研究内容


 ボサボサ頭に白衣をまとい、狂気の発明で混乱を引き起こす……ステレオタイプなマッドサイエンティスト像だ。

 マッドサイエンティストとは、フィクション作品に登場する、常軌を逸した科学者のことを示すが、現実でも、常人には及びもつかない発想で物議を醸した科学者たちがいる。

 もちろん彼らの研究の一部は、後の医学の発展に貢献したものもあるのだが、ちょっとやりすぎちゃったようだ。ここでは、後にマッドサイエンティストと呼ばれた10人の科学者とその研究内容についてみていこう。

・10. トロフィム・ルイセンコ:社会主義的遺伝学

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 ウクライナで生まれ、キエフ農業研究所で学んだ農学者トロフィム・ルイセンコ(1898~1976)は、独裁者スターリンの農業アドバイザーとして信頼の厚かった人物だ。が、その業績は科学的とは間違っても言えない。彼は、ミチューリンの交配理論を更に推し進め、「環境による生物の変化は遺伝する」という学説を唱えた。

 植物を過酷な環境に暴露することでロシアの冬に対する耐性をつけさせれば、その特性がその後も継承されると提唱し、「ヤロビザーツィア(春化)」あるいは後に「バーナリゼーション」と呼ばれた手法を考案した。

 彼の手法については、「断尾された犬は尻尾のない犬を産む」というのと同じであると評されている。

 個々の植物については順化を通じて丈夫になる可能性はあるが、ルイセンコの学説は、その特性がすぐさま次の世代に受け継がれて、飢饉を抑制できるというものだった。

 それはあらゆる学術的な資料で取り上げられたが、やがて作物がそのような反応を示さないことが確認されると、いくつもの反論に直面することになる。

 だが科学と政治がはっきり区別されていなかった当時、”社会主義的遺伝学”を唱えたルイセンコはスターリンのお気に入りで、メンデル遺伝学の排斥に動き出す。この運動は「ルイセンコイズム」と呼ばれている。従来の正しい遺伝学を支持する学者は検閲や抑圧の対象となり、大勢が処刑された。
References:smithsonianmag

・9. ウィリアム・バックランド:地上のあらゆる動物を試食する

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 ウィリアム・バックランド(1784~1856)はマッドサイエンティストの教科書的存在だ。1784年、イングランド、デヴォンシャーで生まれた彼は、1801年に奨学金を獲得すると、オックスフォード大学地理学部に学生代表として入学する。

 だがバックランドの最も奇抜な野心が頭をもたげたのは生物学の世界であった。彼の手法は地上にあるあらゆる動物を試食することである。

 学習と指導への情熱を奇妙な方法で表現したバックランドは、史上稀に見る不合理な講師として絶叫しつつ、学生の眼前でハイエナの頭蓋骨を振り回した。

 きな臭い「動物順化協会(Society for the Acclimatization of Animals)」の会員として、英国海岸にいる外来種の生物多様性リストを作成し、爬虫類、鳥類、霊長類、ハイエナを個人的に飼育するなど、会員にとってはごく通常の行為を行なった。

 そして生涯を通じて、ミヤマクロバエのような病気を持っている可能性のあるものから、モグラやウミウシのようなものまで、手当たり次第に動物を食らった。子犬まで口にしたと伝えられている。

 ネズミの肉を気に入っていたとされ、何度も試した。また、ある時はイタリアのカテドラルの壁を食い、キリストの血はコウモリの小便であると述べたとも言われている。

 困ったことに、バックランドはその”喜び”を息子に伝え、おかげで親子で同じ道を歩むことになった。References:atlasobscura

 
・8. ヴェルナー・フォルスマン:自らの心臓を実験台に

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 ドイツ、ベルリン出身の狂気の医学者ヴェルナー・フォルスマン(1904~1979)は、自分の心臓を実験台にした唯一の人物だろう。彼は自分の腕を切開して静脈から60センチのカテーテルを挿入し、心臓にまで到達したところをレントゲンで写真に撮った初めての人物だ。

 自分の体とはいえ、自分で外科的処置を行い、しかも誰からも助けられない状況だったのだから、非常にリスクの高い人体実験だったと言える。

 レントゲン写真には、右心房にカテーテルが届いている様子がきちんと映されていた。危険な実験であったが、その効果は大いに注目された。

 しかし第二次世界大戦が勃発し、軍医として勤務していた際に捕虜になってしまう。終戦後、その功績が認められ1956年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
References:nobelprize


・7. ウラジーミル・デミコフ:2つ首の犬を作り出す

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 ロシアで生まれたウラジーミル・デミコフ(1916~1998)は、常識を覆すような心臓移植の先駆者であるが、首が2つある犬を作り出したマッドサイエンティストとしても知られている。

 彼は21歳の時に最初の心補助装置を開発し、やはり初の冠状動脈バイパス、補助人工心臓移植、心肺移植を行った。にもかかわらず、犬の首を別の犬の体に移植し、首が2つある犬を作り出した実験のおかげで、その業績は汚名に塗れている。

 彼はこの実験を20回も実施しており、ソ連保健省からも目をつけられていた。首が2つある犬は、グロテスクだが奇跡的にもしばらくは生存できた(ただし手術後1ヶ月以上生きることはなかった)。

 人間に厳しく、動物には優しい人間がいるが、デミコフはその逆であった。彼は兵士の自傷が戦闘によるものだと上司に進言し、ソ連兵士を処刑される危険から救っている。
References:realclearscience

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・6. ホセ・デルガード:マインドコントロール法の開発

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 1963年、スペインのマッドサイエンティスト、ホセ・デルガード(1915~2011)は、闘牛の舞台である実験を行なった。

 マドリード大学を卒業した彼は、イェール大学で動物に電極を埋め込み無線で操るという研究に取り組んだ。ついに牛に装置を移植することで、その突進を止めることに成功。これを受けて、猿や牛の実験だけでなく、人間向けのマインドコントロール法の開発をデルガードは目指すようになる。

 スペインは米国に比べて倫理的な規制が緩かったため、デルガードはこの地で移植手術からマインドコントロールまでの幅広い実験に没頭する。

 開発された脳チップを移植すると、人間や動物のさまざまな行為を発生・操作・指示・停止することができた。これは攻撃性の緩和を目指すマインドコントロール法としてさらに研究が進められた。

 デルガードの業績は現代のレベルで見ても傑出したものだが、残念なことにその大半はスペイン語の文献にしか残されていない。
References:madsciencemuseum


・5. スタビンズ・フファース:自らに黄熱病のウイルスを投与

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 自分を実験台にしてでに病気を治したいというマッドサイエンティストの野心は理解できるが、それにも限度というものがある。

 スタビンズ・フファース(1784~1820)はペンシルベニア大学卒のアメリカ人医師で、当時フィラデルフィアの人口の10パーセントが命を落とした黄熱病の研究に取り組んだ。フファースは、冬の間、黄熱病の死者が減ることに気がつき、感染症ではなく、熱とストレスに起因する症状ではないかと考えた。 

 そこで彼は黄熱病が感染しないことを証明するために、自らをそれに晒すという狂気の研究を敢行。まず動物実験でそれを確認すると、次いで自分の腕を切開し、そこに黄熱病患者の嘔吐物をびちゃびちゃと垂らした。目にも垂らし、加熱して乾燥させたものを飲み込みもした。一向に病気にならないので、患者の他の汚染物も試したが、それでも病気になることができなかった。だが実は黄熱病は感染性だったのだ。黄熱病になりたければ、ただ蚊に食われて血液を直接輸血すればよかった。
References:windowthroughtime


・4. ロバート・G・ヒース:苦痛と快楽をコントロールする実験

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 苦痛と快感は表裏一体なのかもしれない。その両極の体験を測定しようという発想が不穏な研究を生み出した。

 アメリカの精神科医ロバート・G・ヒース(1915~1999)は、電極による受容体刺激で人間の苦痛と快楽をコントロールする実験を行なった。

 非倫理的な実験を行なった彼だが、その経歴は素晴らしく心理学と神経学の学位を持っており、テュレーン大学精神医学部と神経学部の創立者でもある。

 ヒースの実験手法は、被験者の脳に電極を埋め込むというものだ(時に数ヶ月放置されることもあった)。最も不穏な人体実験は、受容体刺激で女性に30分間オーガズムを与えるものだろう。

 1970年には、麻薬所持と売春の容疑で逮捕されたゲイの男性に同じ実験を実施。だが、ヒースがマッドサイエンティスト呼ばわりされたのは、売春婦に50ドル支払い、電極インプラントによる快楽中枢刺激と性行為を組み合わせた実験に負うところが大きいだろう。

 このような実験にも関わらず、政府の助成金を受けていたことから、CIAの非合法研究「MKウルトラ計画」に関与していたという説もある。
References:motherboard

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・3. イリヤ・イワノビッチ・イワノフ:人間とチンパンジーの交配

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 ソ連のマッドサイエンティスト、イリヤ・イワノビッチ・イワノフ(1870~1932)は保全や飼育下繁殖の熱心な支持者で、生物多様性調査に関連したさまざまな活動を行なっていた。

 それと同時に人間とチンパンジーの雑種を作ることを公然と目標に掲げる人物でもあった。道徳などに縛られなかったイワノフは、史上初めてチンパンジーの精子で人間の女性を妊娠させようと考えた。

 だが、それに同意してくれる女性が必要であることにイワノフは気づく。政府の支援の下、人間の精子でチンパンジーのメスの受胎を試みた。

 実験が不首尾に終わると、今度はその逆を行おうと決意。人間の女性をチンパンジーの精子で妊娠させる実験の準備を進めた。

 ところが、その最中に逮捕され、現在のカザフスタンに追放されてしまう。人間とチンパンジーの雑種を作り出そうという試みは失敗に終わっているが、馬とシマウマの雑種、ネズミの雑種、バイソンと牛の雑種など、いくつかの掛け合わせを作ることには成功している。
References:smithsonianmag

・2. ハリー・ハーロウ:猿に加虐的実験を繰り返す

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 倫理を踏み越えた領域において、秘密裏に実験を行う科学者もいるだろう。しかし数多くの猿を破滅させたアメリカの心理学者ハリー・ハーロウ(1905~1981)は、不思議なほどの冷徹さで臆面もなく実験を行なった。

 ウィスコンシン大学マディソン校の研究者だった彼は、幼い猿の子供を母親から引き離し、1~2年檻の中で隔離。そして人形の母親と暮らしただけの猿と生身の母親に育てられた猿の心理と行動を比較した。

 この無慈悲な実験には多方面から非難が浴びせられたが、そればかりか実験の理論的基盤も批判された。

 マーロウの意図は、霊長類の発達における”愛”の重要性を明らかにすることだったが、その”愛”が非科学的な性質であると疑問視されたのだ。

 また彼の語る言葉には加虐的な響きがあった。彼は霊長類の人工授精を行う器具を “レ×プラック”、子供の猿を隔離したケージを”絶望の穴”と呼んでいた。

 無論、ハーロウの実験は子猿に凄まじい精神的ストレスを与えており、子供は自傷行為に及ぶようになった。それは穴から取り出された後でも止まなかった。
References:verywell / ua-magazine

・1. ジョバンニ・アルディーニ:人間の遺体を動かす実験

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 イタリアの迷信の多くは、地下から死者が蘇る恐怖と関係しており、それを防ぐ方法を伝えている。ところがこの科学者はあえて死者を動かそうとしたのだ。

 イタリアの物理学者ジョバンニ・アルディーニ(1762~1834)は遺体を使った不気味な実験で知られている。その実験では動物はおろか人間の遺体にまで電気プローブを突き刺し、電気ショックを与えて、まるで本当に生き返ったかのように体の部位を動かしてみせた。

 人間の遺体を使った実験はしばしば人前で行われ、一種の見世物のような感じであった。1803年には、ロンドンのイングランド王外科医師会で殺人の罪で処刑された英国人の遺体を使った実験が行われている。

 不気味であることは確かだが、そこにはいくつもの真面目な意図がある。例えばアルディーニは、電気ショック療法の効果を固く信じており、患者のさまざまな症状に改善が見られたと報告している。

 この先駆的な業績を称えられ、オーストリア皇帝から勲章まで賜った。その研究は脳深部刺激法という形で現代にまで受け継がれ、運動機能や行動障害の治療に役立てられている。
References:.corrosion-doctors
All translated by hiroching / edited by parumo
※追記(2018/01/22):本文を一部修正して再送します
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