何かと話題の大相撲。渦中のアノ親方たちの輝かしい現役時代を紹介

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何かと話題の大相撲。渦中のアノ親方たちの輝かしい現役時代を紹介

何かと話題が尽きない大相撲ですが、2018年も1月14日から初場所が始まり、連日の熱い取組みがニュースを賑わせています。

そんな中、最近TVで見かけない日がないほどに登場しているのが、かつては元力士として活躍していた親方たちです。今回は、親方たちの輝かしい現役時代の姿に着目しました!

貴乃花親方(元第65代横綱・貴乃花)

名大関・初代貴ノ花の次男として誕生し、史上最年少記録を次々と塗り替え、兄である元横綱・3代目若乃花とともに「若貴フィーバー」を巻き起こした貴乃花親方

父である初代貴ノ花が千代の富士に負けて現役を引退したことを機に角界入りを決意し、その千代の富士が当時の貴花田に敗れた3日後に引退したというエピソードは有名ですね。

1993(平成5)年の大関昇進時に、四股名を「貴花田」から父の現役時代と同じ「貴ノ花」に改名、1994年に現在の「貴乃花」に改めました。

横綱昇進後は怪我、洗脳騒動、兄・3代目若乃花との確執などの様々な苦難に見舞われましたが、優勝22回、全勝優勝4回、年間最多勝5回という記録を残し「平成の大横綱」と呼ばれました。

最後の優勝を飾った2001年5月場所では、14日目の武双山との対戦で膝に重傷を負い、立つこともままならないほどの状態だったにも関わらず千秋楽に強行出場。

武蔵丸との優勝決定戦に勝利し、表彰式で小泉純一郎首相(当時)に「痛みに耐えて、よく頑張った!感動した!おめでとう!!」
と熱烈に祝福されました。

2003年に30歳で現役を引退し、一代年寄として貴乃花部屋を設立しました。

八角親方(元第61代横綱・北勝海)

独特の存在感を放つ、第13代日本相撲協会理事長・八角親方同じ九重部屋の兄弟子で「昭和の大横綱」と呼ばれた千代の富士と同じ、北海道出身の横綱でした。

初土俵から関脇時代までは、本名の「保志」の四股名で相撲を取り続けていましたが、大関昇進時に「北勝海」に改名。最初は北海道の十勝地方出身の横綱ということで、それにちなんだ「十勝海」「十勝富士」などが候補に挙げられていましたが、「十勝では10勝までしかできなそうだから」という師匠の意見で「北勝海」に決まりました。

1987(昭和62)年に横綱に昇進し、1989(平成元)年7月場所では、千代の富士と史上初の同部屋横綱同士による優勝決定戦で対戦。この時は敗れましたが、優勝回数は合計8回に上りました。

腰や膝の怪我の影響で1992年に28歳の若さで引退し、1993年に八角部屋を立ち上げました。

伊勢ヶ濱親方(元63代横綱・旭富士)

「日馬富士の師匠」として知られる伊勢ヶ濱親方は、青森県西津軽郡出身の横綱。

中学・高校時代から相撲で活躍し、相撲の名門である近畿大学に進学しましたが、合宿所での生活に馴染めずに退部。大学も退学して、一時は故郷の青森に戻っていました。大学は、後に通信教育部に再入学して卒業を果たします。

その後、当時の大島親方からのスカウトを受け、創設1年の大島部屋に入門。幕下付出の基準を満たす前に大学を中退していたため、20歳で番付外の前相撲からスタートという、異例の相撲界デビューでした。

入門した1981(昭和56)年の3月場所までは本名の「杉之森」を四股名にしていましたが、その次の5月場所からは「旭富士」に改名。

持病の内臓疾患に苦しめられながらも、1990(平成2)年に横綱に昇進しました。

最終的に優勝は4回、横綱在位9場所の「短命横綱」でしたが、親方となってからは、伊勢ヶ濱部屋から元横綱・日馬富士、従兄弟の子供である安壮富士・安美錦の兄弟をはじめとする関取たちを輩出しています。

平成生まれの世代には、話題の親方たちの現役時代にはあまり馴染みがないという方も多いかもしれませんね。親方たちがそれぞれの個性を生かして活躍した力士時代も、なかなか面白いものですよ。

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