天才テリー伊藤対談「丸山桂里奈」(2)選手時代にそんな辛い思いをしたの

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天才テリー伊藤対談「丸山桂里奈」(2)選手時代にそんな辛い思いをしたの

テリー でも、小6でサッカーを始めるって、ちょっと遅いんじゃないですか?

丸山 ですね。みんな小1くらいから始めています。

テリー それでも日本代表になるんだから、すごいよね。

丸山 私、もともと足がすごく速かったんです。男の子相手でも全員抜いていけたので、「サッカーなら一流の選手になれるかも」と思っちゃって、中学生になった時、読売ベレーザ(現・日テレベレーザ)の下部組織「メニーナ」のセレクションを受けたんです。そしたら、500人中10名の合格者に入ることができて。

テリー すごいね。最初からモノが違うんだな。

丸山 いえいえ。それで中学の3年間、技術を専門的に教えてもらったら一気に上達したんですよ。その時に「日本代表まで行けるかも!?」なんて考えていたんです。

テリー 早いなァ。でも、夢で終わらず、しっかり実現するんだから大したもんだよ。

丸山 はい、でも大学1年生の19歳の時、最初に代表に選ばれたのには緊張しました。澤さんはもちろん、メンバーはみんな年上で、うまい人たちばかりの集団だから怖かったですね。特に私が入った時は厳しくて、いつも背筋をピンとしてないといけないぐらいでした。

テリー その頃から、澤さんって今と同じ感じ?

丸山 そうですね。

テリー サッカーのために常に自分を律しているというか、友達もいなさそうなイメージがするけど。

丸山 全然そんなことないです。確かに、最初の代表遠征で初めて2人部屋になった時はドキドキしましたけど、澤さんは本当に優しくて、すごくよくしてもらいましたから。

テリー じゃあ、他に悪い人がいたんだ?

丸山 まあ、中には悪い人(?)もいましたね。

テリー え、冗談のつもりだったのに、本当にそんな人が?

丸山 名前は言えないですけど、すごく厳しくされました。例えばシュート練習の時。ゴール前でパスをもらって、ボールをシュートするんですけど、その人、絶対、私が蹴れないようなところに、わざとボールを出すんですよ。他にも、プレー中にも絶対、私にボールを回してくれないし。

テリー 野球で言えば、絶対捕れないところにノックするようなものだね。でも練習中はわかるけど、試合中だったら、監督も見てるじゃない。

丸山 その人は、澤さんとも仲よしだし、うまくやるので監督もわからないんですよ。結局、そういう状況が10年くらい続いていたのかな。

テリー 10年! それはまた長かったね。他のメンバーは、その状況に気づかなかったの?

丸山 いえ、周りからはいつも「大丈夫?」って心配されましたけど、その人に注意はできなかったと思います。私をかばうことで、今度は自分が標的にされてしまうかもしれませんから。

テリー 結局、その人と仲よくなることはなかった?

丸山 ですね。それでも、「サッカーで結果を残せば、きっと向こうも文句を言えないな」って。私はスーパーサブ(試合の流れを見て、戦略的に投入される控え選手)という、割とみんなが嫌がりがちなポジションにいたんですが、プライドを持って取り組みましたし、むしろ、そんなことをしてしまう相手に対して「かわいそうな人なんだな」と考えるようにしました。

テリー うーん、そんな裏側があったのか。

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