幕末の志士たちも惚れた!強者・楠木正成のアツ過ぎる一生[その参] (3/3ページ)
正成は、人望があり戦も強い尊氏を許して呼び戻すことで、争いを止めようとしたのでしょう。それに対して公家衆は、賊軍と和解しようとした正成を侮辱した上、謹慎させてしまったのです。
建武3年の4月、尊氏は多々良浜の戦いで九州の支配権を手にし、光厳上皇から義貞討伐の命令書も頂戴して、京都を目指して進軍してきました。その兵数は十万を超し、義貞率いる官軍は惨敗を喫します。
これには朝廷も慌て、正成を呼び戻して尊氏を倒すように命じます。和睦もならず正攻法では勝ち目のない状況下で、正成は湊川(現在の兵庫県)で死を賭した戦いに臨むこととなったのです。次項では、彼がどのようにして最後の戦いに臨んだかを紹介します。
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