長州征伐の合間も写真に勤しむ…西郷どんとともに英断を下した徳川慶勝は元祖カメラ小僧だった [中編] (2/2ページ)

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慶勝も「私も長州を潰すのはちょっとやりすぎだと思ってたんだよね」と賛同して長州征伐は中止になります。長州は3人の家老の切腹など最小限の犠牲で許されました。この結果を受けて将軍・慶喜や、実弟で会津藩主の松平容保に「兄さんは甘すぎる!」激怒されるのですが、時すでに遅しでした。

と、ここまでは長州征伐の表向きの話。この長州征伐の裏では、またもや慶勝のマイペースぶりが遺憾なく発揮されていたのです!この時広島城に陣を張っていた慶勝は、なんとあの大きな湿板カメラをしっかり持って来ていました。

当時の湿板カメラ。 Wikipediaより

持ってきたというか自分はあんな重たい物持たないので、家臣の誰かに持たせていたのでしょうね。そして長州征伐の合間にちゃっかり広島城内を色々撮影し、慶勝がいなければ残るはずのなかった広島城内の写真、しかもお殿様でなければ入る事の出来ない貴重な場所の写真を後世に残すという、カメラマンとしての偉業も成し遂げたのでした。

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