【世界遺産】王の居城から処刑場へ、血塗られた歴史をもつイギリスのロンドン塔 (2/3ページ)
・処刑場跡

1509年に即位したヘンリ8世は絶対王政を確立して国の発展の基礎を整えた一方で、世継ぎの男児を産むなかった王妃アン・ブーリンに姦通罪の濡れ衣を着せ、斬首刑に処しました。
それ以来、ロンドン塔周辺では「アンを先頭にした行列が、礼拝堂の周りを何度も回り、光とともに消え去った」「アンを乗せた舟がテムズ川を下っていくのを見かけた」など、無念の最期を遂げたアン・ブーリンの亡霊を見たという噂がささやかれるようになります。
この種の目撃談は今も後を絶たないとか。アン・ブーリンが処刑された場所には、現在ガラス製のメモリアルが設置されています。
・ブラッディ・タワー

「血染めの塔」の意味をもつブラッディ・タワーは、高貴な身分の囚人が幽閉されていた場所。実際の処刑は外の広場で行われることが多かったそうですが、ここはエドワード4世の息子ふたりが殺害された場所と言い伝えられています。
1483年、エドワード4世の死後、彼の息子であるエドワード5世幼王とその弟リチャードがロンドン塔で即位の日を待っているあいだに行方不明になりました。
それからおよそ200年後、ホワイト・タワーのそばで2人の少年の遺骨が発見されました。それがエドワード5世幼王とリチャードの遺骸だと信じた当時の国王チャールズ2世は、彼らをウエストミンスター寺院に埋葬しました。
真偽のほどは定かではありませんが、事件の後王座に就いた叔父のリチャード3世が、王座を手に入れるために兄弟を暗殺したといわれています。