プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「秋山準」“王道復活”の鍵を握る男 (2/3ページ)
「御大・馬場社長の後押しもあり早くからスター街道を歩んだものの、周囲の評判と実感との乖離が大きく、その影響か'97年あたりにはパニック障害を発症していたと、のちに本人が語っています」(同)
周囲と自身の評価の差は、その後も秋山に付きまとうことになる。全日から分かれてノアを立ち上げた、その旗揚げ2連戦。
初日、小橋と組んで三沢&田上組と対戦した秋山は、三沢をフロント・ネックロックで秒殺すると、2本目もエクスプロイダーで田上をピンフォール。
さらに2日目は、小橋とのシングル戦でメインイベントに出場すると、やはりフロント・ネックロックで勝利を収めた。
旗揚げ2連戦で四天王のうち、全日に残った川田以外の3人すべてを下したわけで、すなわち「新団体のエースは秋山になる」ものと思われたが、そうはいかなかった。
「旗揚げに際して三沢は社長業に忙しく、小橋は長年の膝の故障を抱えて不調にあった。そこで、秋山としてはあくまでもこの時期だけ、自分が前に出ようと考えたようです」(同)
また一方で、この頃はPRIDEにおいて、新日の永田や石澤が苦杯を喫していたことから、同じレスリングがバックボーンの秋山に対し、リベンジを期待するファンの声も多かった。そんなところにフロント・ネックロックという格闘技系の技を披露したことで、総合進出を噂されることにもなった。
だが、レスリングの実績でいえば、同じノアには五輪3度出場の本田多聞や、当時は新弟子だった全日本覇者の杉浦貴もいる。にもかかわらず総合といわれても、前向きになれるはずがない。
秋山としてはノアの成功が第一であったが、エースの座や総合参戦など当人の思惑とは異なる期待を懸けられたことで、結果的には何か宙ぶらりんの状態となってしまった。
若手とともに結成したスターネスを率いて団体内抗争を仕掛けても、ファンの中には「そんなことをやっている場合か」と見る向きは少なからずあった。
そんな秋山が一皮むけるきっかけとなったのは、新日への参戦だった。中でも同世代の永田との対戦は、四天王越え、闘魂三銃士越えを目指すという、共に似た境遇だったこともあり、自らベストバウトに挙げるほどの好勝負となった。