把瑠都「子どもに“人生楽しいよ”って話せるように生きていたい」 (1/2ページ)

日刊大衆

把瑠都「子どもに“人生楽しいよ”って話せるように生きていたい」

 初めて、相撲を見たのは15、16歳のとき。テレビで見ると、ポーンとやってポーンと倒れるから、すごく簡単そうに見えた(笑)。

 エストニアでは、柔道をやっていたんですが、ちょうどその頃に、エストニアに相撲協会ができて、相撲を始めてみたら、国内の大会で優勝したんです。そこで、日本で相撲をやってみないかと声をかけられた。うちは、お母さんが一人で兄弟3人育てていて、すごい大変だった。

 大学に通う費用を稼ぐために、夜中にナイトクラブのボディガードとかして、朝から大学に行くような生活。どっちかを辞めなきゃいけないなと思っているときだったので、お母さんに苦労をかけたくないし、自分一人で生活できるようになりたかったので、19歳で日本に行く決心をしたんです。

 いざ、日本での生活が始まると、言葉もわからないし、食べる物も違うし、稽古はキツイ。もう一人一緒にエストニアから来た人がいたんだけど、その人は半年ぐらいで逃げちゃった。正直、私も逃げようと思ったことはあります。でも、エストニアに帰っても、将来が見えなかった。だったら、せっかくここまできたし、がんばってみるかなと。簡単に強くなる方法はないかなってずっと考えていたけどね(笑)。

 当時は携帯があったけど、部屋で禁止されていたし、テレビを見ても何をしゃべっているかわからない。お母さんに手紙書いたりしたけど、それ以外にやることもないから、暇だったんですよ。それで、稽古後に一人で残って練習をよくやっていました。やっぱり、早く強くなりたかったんですよ。

 最終的には、大関にまでなれたけど、それは本当に奥さんのおかげ。幕下のときに初めて会ったんだけど、それから、ケガで引退するまでずっと支えてくれた。奥さんがいなかったら、私はダメな人間になっていたかも(笑)。少なくとも大関にはなれなかったですよ。

 よく聞かれるのは、なんで親方にならなかったのって。単純に10年、相撲をとったから、違うことをやってみたいと思った。同じ仕事を20年、30年も続けるなんて、みなさんには悪いけど、私にはとてもできない。そういうタイプの人間ですから。

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