介護疲れと生活苦で母を殺害。温情判決が下され、再起誓うも8年後に自殺。 (6/7ページ)

心に残る家族葬

自ら手をかけ、自分も後から追いかけるつもりが、死に切れず、一生その業を負い続けるのか。それとも再び、Aのように、自分で自分にけりをつけるのか。

■高齢化とともに介護福祉費が国の経済を圧迫していくことは明らか

現代の日本において、「中身」や「質」についての賛否両論は尽きないにせよ、日本では2000年の4月1日から施行された介護保険制度など、介護を必要とする人々にさまざまな施策が行われてきた。それと同時に我々の心の中には、依然として、弱く衰え、病によって、物忘れ、以前できていたことが全くできなくなってしまったり、徘徊、物盗られ妄想、暴言、情緒不安定、失禁…など、「頭がよかった」「立ち居振る舞いにとても厳しかった」「しっかりしていた」「きれい好きだった」親の以前を知る子どもからしたら、「信じられない」状況になった、「壊れてしまった」親に対して変わらぬ「愛情」「奉仕」の気持ちを「みんな」が持つことが、子どもの「あるべき姿」「美徳」とされ、それに「逸脱」するような愚痴・不満・弱音が一切許されない風潮が、今なお存在し続けている。「親に育ててもらった恩を思えば…」「人間は神様じゃないんだから、完璧じゃない」「昔はもっと大変だった」「他にももっと苦しんでいる人がいる。それに比べれば…」などといった、暗黙のうちに「忍従」を強いる「空気」が払拭されること。そして、医学/薬学の発達によって、介護者を経済的・精神的・肉体的に追い詰めてしまう、被介護者の脳疾患や全身の麻痺などが完治することがない限り、「介護殺人」がこの世からなくなってしまうことはないだろう。全てを「無」にしたAの死は、我々に、「キレイゴト」の同情心を心から持ちつつも、「壊れてしまった」赤の他人が自分のそばに近寄ってこられたら、「とんでもない!」と拒否し、遠巻きに眺めてしまう我々の「醜さ」を暴き出す事件でもあったとも言える。

■京都認知症母殺害心中未遂事件が遺したこと

とはいえ、遺品、遺骨、位牌、墓といった、人が生きた痕跡とされるものを一切残さなかったAだが、Aは今もなお、この世に生きている。「温情判決」後、この事件をベースとした漫画やドラマ、演劇がつくられたのだ。

「介護疲れと生活苦で母を殺害。温情判決が下され、再起誓うも8年後に自殺。」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る