将来、「えらい人」はいなくなる? 今を生き抜くための哲学 (2/2ページ)
また、Amazonなどの通販サイトに出現する「あなたへのオススメ」は、企業側のシステムに監視、蓄積した結果、表示される。
こうしたパノプティコン的な社会は何をもたらすのだろうか?著者は、そのひとつに「非対称性の崩壊」があると述べる。少々難しい言い方なので、例を挙げて紹介しよう。
■現代の先には「えらい人」がいなくなる?昔だったら、「えらい人(権威や権力の上層)」に何かを伝えようと思っても届かなかった。
しかし、今は、ツイッターなどのSNSで、権力や権威のない個人でも容易に「えらい人」に意思を伝えることができる。
場合によっては、大企業の経営者や幹部、政治家などの圧倒的な権力を持つ人たちよりも、一般市民のひとつの当初や意見のほうが強いということがありうる。つまり、少数の人物が多数の人たち(=非対称)が影響を与えたり啓蒙していったりするという構造が崩れたと言えるのだ。
著者の実感では、20年ほど前からテレビが「えらい人」をおちょくり始めたという。それまでは学者先生のほうがアナウンサーやキャスターよりも上の立場だったのが、今では「それおかしいですよ」と学者に反論や意見が出るようになり、時にはバカにするような論調になることすらある。
こうしたことから社会から上下関係という価値観が廃れつつある。上下関係自体が善か悪かはまた別問題だが、その果てには、人々から尊敬や畏怖という感覚が失われていくかもしれない。
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中には、「ネットに何かを書き込むことはないし、そもそも見ない」という人もいるかもしれない。
しかし、別の第三者が自分のことを書き込むかもしれないし、もしくは、書かない見ないということで、「存在しない人」「影が薄い人」ということになってしまう可能性もある。高度にネットワークが発達した現代においては、誰しもが、「取り込まれるか」「存在しなくなるか」の選択を迫られ、ネット上の自分を否が応でも意識せざるを得ない。
本書では、さらに考察を進め、「私(個人や個)」とはどういうものか、これからの時代における「私」の価値はどのように扱われ、捉えられていくかが語られている。価値観や社会全体を動かすベーシックな思想は、当たり前にあり過ぎるので深くは考えないものだ。それらを「哲学的思考」で切り取ってみると、未来に対する不安を払拭できるかもしれない。
(ライター/大村佑介)