”本名のまま”土俵に上がり続ける力士!そこにはあの偉大な本名横綱の影響が

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”本名のまま”土俵に上がり続ける力士!そこにはあの偉大な本名横綱の影響が

遠藤が三役濃厚!四股名は変わる?

2018年大相撲春場所が終わり、前頭筆頭の遠藤が勝ち越しを決め、来場所での三役への昇進が濃厚となりました。

入門~幕下辺りまでは本名で土俵に上がり、新入幕など昇進の区切りに合わせて四股名をつける力士が多い中、遠藤は三役に昇進しても「遠藤」のままで土俵に上がる意向を示しているそうです。

画像出典:力士プロフィール – 遠藤 聖大 – 日本相撲協会公式サイト

多くの力士は、入門から幕下辺りまでは本名で相撲を取り、十両昇進や新入幕のタイミングで「○○富士」「○○山」「琴○○」などの力士らしい四股名をつけるようです。にもかかわらず、遠藤は関取になっても四股名を本名から変えていません。スピード出世と「遠藤フィーバー」と呼ばれる人気が出たことが理由の一つのようです。

さて、関取となってからも本名を四股名とした力士は、遠藤の他に長谷川、蔵間、出島、石浦、高安、宇良など古くから多く、中には、本名のまま横綱にまでなった力士もいました。

本名で横綱を張った唯一の力士

遠藤と同じ石川県出身の元横綱・輪島は、本名と同じ四股名のまま横綱まで上り詰めた唯一の力士であり、大学相撲出身の唯一の横綱として知られています。石川県出身で「輪島」 と聞くと「輪島塗で知られる、石川県輪島市出身?」と思われますが、彼の出身地は輪島市ではなく、同じ能登半島の七尾市でした。

日本大学相撲部時代に2年連続で学生横綱に輝くなどの素晴らしい成績を残した後、昭和45(1970)年1月場所にて幕下付け出しで大相撲の初土俵を踏みました。その後わずか1年で新入幕、なんと初土俵から3年半で横綱となっています。まさに「天才」と呼ばれた力士でした。

最近何かと話題に上がる貴乃花親方の父・初代貴ノ花とはライバルであり、親友でもあったとのこと。また後に横綱となる北の湖とは、通算成績23勝21敗という互角の闘いを繰り広げました。

1981(昭和56)年に引退し花籠親方となりましたが、その花籠の年寄名跡を身内の借金の担保にしていたことが問題となり、最終的に廃業。その後は全日本プロレスに参加したり、タレント活動や大相撲中継での解説を行うなど、様々な方面で活躍しました。

石川県出身力士は輪島にあやかる?

遠藤だけでなく、2009年7月場所をもって引退した元大関・出島(現・大鳴門親方)も石川県出身で、本名のままで土俵に上がり続けていました。

石川県出身で輪島の遠縁にあたる輝(かがやき)は、四股名を「輝」としながらも名は輪島と同じ字の「大士」をつけ、本場所で絞めるまわしの締め込みには、現役時代の輪島と同じ金色を使用しています。

横綱・輪島の同郷の力士たちへの影響は、現在でも大きいのかもしれませんね。

歴代の力士の中には「保志→北勝海(現・八角理事長)」「北尾→双羽黒」のように、長年本名で相撲を取り続け、横綱昇進が決まって初めて四股名をつけた力士もいます。

遠藤の今後の活躍に期待すると同時に、彼の今後の四股名にも注目ですね!

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