【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第1話

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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第1話

初霜起想

春霞ひけの合図に拍子木の 数も九つうちかけの龍

歌川国芳「風俗女水滸伝 九紋龍史進」より

歌川国芳「風俗女水滸伝 九紋龍史進」大英博物館蔵

文政七年 正月 (1)

桃、水色、赤。

あの男の歩く後には、花が咲く。

色とりどりの綺麗なべべを着た子どもが、けらけら明るい笑い声を立てて男の後ろに連なる様子を、人は花に例えた。花は皆、物心つく前に吉原遊廓の門を潜り、苦界を世間と教わった禿である。

正月二日。

江戸吉原遊廓の買い始めの日は、普段よりいっそう華やかで賑々しい。明け七つ(午前四時)から頬かむりの商人がわんさと入ってくる。
「道中すごろく、おたからおたからア~」
時間も気にせず素っとん狂な声を張り上げ、すごろくやら枕に敷く宝船の絵を売り始める。昼になると、中央大通りの仲之町は引手茶屋に挨拶廻りする女郎で溢れかえった。

著/十返舎一九,絵/歌麿「青楼絵抄年中行事〔下之巻〕仲の町 年礼之図」

先頭は年頃十四、五の可憐な振袖新造、中央は綺羅で飾った花魁、はぐれまいとちょこまか必死な幼い禿(かむろ)たち、一番後ろが大年増の番頭新造。色っぽい緋縮緬(ひぢりめん)の蹴出しの上にまとうのは、この日のためにあつらえた全員揃いの初衣装の小袖である。

引手茶屋には、若那屋が引けば玉屋、玉屋が引けば山しろ屋という具合に色とりどりの一行が次々に花のれんを分けて押しかけ、茶屋の旦那は忙しさと小袖の鮮やかさに目を回した。

挨拶回りが終われば禿たちはようやく解放され、羽子板にかるたにと好き好きに遊ぶ。そこへかならずその男は現れた。

男は毎年決まって正月二日に、門松かざりの大門を潜ってこの吉原遊廓にやって来る。
「凧やア、凧」かならず凧だらけの渋紙籠を天秤棒に担いで来た。
はなやかな雰囲気の男で、大通りの仲之町に人がわんさと溢れていても自然と目が行く。丁目の表通りで遊びに興じていた子どもたちも、男の声が聞こえると羽子板やサイコロを放り出して木戸門を飛び出し、仲之町をスタスタ歩く男を追いかけた。

だから、あの男の歩く後にはいつも花が咲く。

もっとも、子どもたちが興味津々なのは男ではなく男が担ぐ天秤棒の両端、弁柄染めの渋紙籠の中だ。目に沁みるほどの藍や緑青、赤丹に藤黄、極彩色の絵凧の山。糸で加工された紙上に勇ましい武者絵が躍る凧は吉原遊郭ではものめずらしく、大粒の玻璃玉のような禿の澄んだ瞳を一瞬にして吸い付けた。

「凧やア、凧」男の声は冴えて良く通った。
頰被りの陰翳(かげ)で容貌はよく見えない。着込んだ薄梅鼠(うすうめねず)の縮緬の褞袍(どてら)は、男が浅草御門の柳原土手の床店で古着の山の中から偶然掴み取った掘り出しもので、よく見れば宝づくしの小紋が入っている。合わせて千歳茶(せんさいちゃ)の三尺帯を小意気にキュッと締めた装いは、この男なりの早春へのささやかな寿ぎのつもりらしい。

「凧やア、凧。さあ、今流行りの水滸伝の凧だよ」
「ねえこれ、ぜんぶ、兄さんが描いたの」
子どもの一人が袖を引いた。
「そうだよ。花和尚魯智深(はなおしょうろちしん)、九紋龍史進(くもんりゅうししん)に黒旋風李逵(こくせんぷうりき)、ぜェんぶわっちが描いたのさ。サア早い者勝ちだぜ。買った買ったア!」

男が煽ると、背後(うしろ)に集まっていた小さな禿たちは目を輝かせ、びろうどの帯をふりふり、
「姐さん、姐さん」
と口々に自分の姉女郎を呼んだ。彼女たちは幼くして既に男共に愛されるための術を備えているようで、その愛らしさに自然と男の頬も緩んだ。

しかし巾着のように緩んだくちもとは、すぐに緒締めで締め直されるが必定。禿たちが呼んだ途端、大向こうから縦縞の揃いに漆の木履(ぽっくり)の姉女郎たちが肩で風を切り飛んできて、目を吊り上げて凧売りに嚙みついた。
「兄さん!まアた今年もこんな場所でがき相手に凧なんざ売り付けて、廓内(なか)で飛ばす場所なんてありゃしないよ!」
「さあな、こんな美人(うっつく)に買ってもらえたら、この凧ア喜んで座敷のあっちイこっちイ飛回りまさア」
「あんた、ほんに馬鹿だねえ」
軽く目をむきながらも女たちはまんざらでもない様子だ。一人の若い女郎が、魯智深の凧を手放さない禿を指し、
「そんなら、この子が持ってるそれ一つ。幾らだっけ?」
「三百文」。

男が悪びれもせずにしれっと放ったその値に、女の顔が曇った。
(ちょいと高えわいな)
とは、江戸ッコ女郎は口が裂けても言わないが、ほんの一瞬まつげが揺れた。
普通の凧は一枚張りなら安ければ十六文、二枚張りでも四十八文ほどで買える。

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アイキャッチ画像、イラスト・加工、筆者

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