「グラビア登竜門」ミスコン35年史(1)斉藤由貴、南野陽子、倉科カナを輩出した「ミスマガジン」

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「グラビア登竜門」ミスコン35年史(1)斉藤由貴、南野陽子、倉科カナを輩出した「ミスマガジン」

 グラビア界にとって、一般層にも名前をアピールできるのが「ミスコン」の存在だった。各種のミスコンに選ばれることにより、大きく飛躍したケースも少なくない。そんな35年のヒストリーをここにプレイバック!

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○「ミスマガジン」(1982~2011年)

 ビール会社や水着メーカーのキャンギャルを別とすれば、その第1号とされるのが82年に始まった「ミスマガジン」である。少年マンガ誌の主催で、スタート時は正統派アイドルの登竜門だったが、時代が平成に変わる頃から、グラドルの需要が圧倒的に増えた。ミスコンで箔をつけ、それが誌面やテレビ局に還元される「ウィンウィンな関係」が続いたのだ。では、その懐かしい歴史を順を追って以下に──。

 グラドルのみならず、芸能界への登竜門として由緒ある歴史を誇る美少女コンテスト。82年の初代グランプリがいとうまい子、準グランプリが森尾由美と、今なお現役であることを思えば、その審美眼は正しかった。さらに80年代には、ミスと準ミス合わせ、斉藤由貴、田中美奈子、南野陽子、さとう珠緒と、今も芸能界の第一線にいる者を輩出する。流れが変わったのは、90年に細川ふみえがグランプリに輝いてから。豊かなバスト美女がクローズアップされ、マンガ誌にも水着グラビアが不可欠のものとなった。01年には「ミス週刊少年マガジン」「ミスヤングマガジン」にも枝分かれし、さらにグラドルたちの需要は広がっていったのである。

・いとうまい子

 35年前の記念すべき初代のミスマガジンは、今なお奇跡的な若さを保つ。

・斉藤由貴

 不貞騒動で世間を騒がせた斉藤だが、出発点は3代目(84年)のミスマガジンだった。

・南野陽子

 85年のミスマガジン・マガジンメイトに選ばれ、一気にトップアイドルに駆け上がった。

・細川ふみえ

「眼帯ブラ」で名をはせた細川が90年のグランプリに輝き、グラビア勢に大幅シフトする。

・塩村文夏

 民進党からの衆院選出馬を宣言した元美人都議は、98年の準グランプリに選ばれていた。

・倉科カナ

 NHK朝ドラ「ウェルかめ」でブレイクしたが、06年は豊かなバストをアピールしていた。

・清水富美加

 出家の理由が「性的対象で見られたくない」だが、ミス少年マガジンでは堂々の水着姿を披露。

・その他の主な出身者

 森尾由美(82年)、田中美奈子(84年)、さとう珠緒(88年)、中川翔子(02年)、安田美沙子(02年)、岩佐真悠子(03年)、北乃きい(05年)、仲村みう(06年)、新川優愛(10年)、衛藤美彩(11年)

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