「俳優・亀梨和也」を育て上げた滝沢秀明のマンツーマン指導とは

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「俳優・亀梨和也」を育て上げた滝沢秀明のマンツーマン指導とは

 今井翼がメニエール病を再発したことによって、タッキー&翼の復活が遠のいた。今井と滝沢秀明は昨年、9月11日のデビュー15周年を迎える直前に、活動休止を発表。以降、それぞれがソロ活動にいそしんでいる。タッキーはこの春「滝沢歌舞伎 2018」をスタートさせ、6月に初の愛知・御園座公演を控える。

「タッキーが『滝沢歌舞伎』の素地を形成したのは、ジャニーズ若手の登竜門『DREAM BOY』(呼称・ドリボ)です。同作でKinKi Kids・堂本光一が00年の『MILLENNIUM SHOCK』で打ち立てた帝劇の最年少座長記録を、04年にタッキーが塗り替えています。その21歳をさらに下回り、18歳で座長のポストを射止めたのは、まだジャニーズJr.だった亀梨和也。タッキーの代役で、わずか1週間だったため、公式記録の対象外ですが」(スポーツ紙芸能記者)

 KAT-TUNが結成されたのは、亀梨がまだ15歳だった01年。その3年後「ドリボ」出演のチャンスをつかんだ。このとき、滝沢は「何かがあったときのために(俺の)動きを全部覚えるように」と指示している。そして滝沢は、驚くべき行動に出た。

「フライングといった難技の稽古日はもちろん、自分がレッスン場に行くときは必ず亀梨を同行させたんです。そのうえで、『おまえ、スケジュールが俺と一緒だから、うちに泊まれ』と、自身のマンションに住まわせた。食費などの生活費はもちろん、滝沢が全額負担。のみならず、亀梨の洗濯までしてあげたといいます」(前出・スポーツ紙芸能記者)

 入所から20年が経ち、今では指折りの俳優となった亀梨。東野圭吾原作のドラマ「手紙」(テレビ東京系)に主演することも決まっている。舞台の裏側、大切さ、座長としての気構えなどのすべては、滝沢から学んだものだろう。KAT-TUNの根幹には“滝沢のDNA”が流れているといっても過言ではなさそうだ。

(北村ともこ)

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