焼け野原からの再出発!戦後に「青空お見合い大作戦」があったって本当なの!? (2/2ページ)

Japaaan

集団見合は、いたるところセン風をまき起している様子であった。

いる、いる。ドテの上は新聞社、ニュース映画社、放送局、自動車だらけだ。アメリカのカメラマンまで出張している。

たしかに一万をこす群集である。このなかに三千何人かの花ムコ花ヨメ志願者がいるのである

確かに物凄い人出だった事が伺えます。そして、参加者は札を付けていたという事も記述されています。

「女の人は、白札がヨメに行きたし、赤札がムコもらいたし。男は、白札がヨメもらいたし、赤札がムコに行きたし」という目印だったようです。

この集団お見合いも一因となり、昭和24年には日本は第1次ベビーブームのピークを迎える事になりました。太平洋戦争の焼け野原からの再出発。亡くした夫や妻の姿をそっと胸の奥にしまって、人々は明日へといのちをつなぐために多摩川の土手に集まりました。「青空集団お見合い」の記録は、「人間が生きる事」を改めて考えさせられる歴史的記録の一つです。

参考文献:坂口安吾「集団見合」

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