武士の背中に風船?選ばれし者の証「母衣(ほろ)」の意味や役割ってなに? (2/2ページ)

Japaaan

戦国時代に入り武士が組織化されてから、母衣は精鋭や本陣と前線を行き来する使番に許される名誉職と位置付けされ、敵味方に存在を示しました。

色は陰陽道にちなんだ赤白の継ぎ合わせか、赤一色で目立たせる武将が多かったようです。何にせよ戦場において一種のパフォーマンス、力の誇示として格好の存在であったといえるでしょう。

『保侶衣推考』伊勢貞丈 (源晁 写, 文政10 [1827])国立国会図書館より

『保侶衣推考』伊勢貞丈 (源晁 写, 文政10 [1827])国立国会図書館より

紫は将軍の色なので、控えるようにということが書いてあります。

ちなみに母衣という字が充てられた理由は不明で、妊婦の胞衣になぞらえた説、中国の書物から羽衣を写し間違えたという説があります。どちらにしても、合戦という血なまぐさい行為からはほど遠い平和なイメージの語源ですね。

今後はぜひ合戦を描いた絵巻物や屏風に、不思議な風船をしょった母衣武者を探してみてください。結構見つかるものですよ。

トップ画像:永青文庫蔵「一の谷合戦図屏風」 Wikipediaより

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「武士の背中に風船?選ばれし者の証「母衣(ほろ)」の意味や役割ってなに?」のページです。デイリーニュースオンラインは、母衣侍・サムライ・武士戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る