大鶴義丹「父・唐十郎に“飲み込まれてたまるか”って思いがあった」劇団に育てられた人間力 (2/3ページ)
怖い連中に本気で追いかけられて、ビルの谷間に隠れて、そこから、空を見上げたときに“怖い人、やだ”って(笑)。こんな世界で生きるなら、真っ当に生きたいと、子どもながらに悟ったんです。それから、高校に入り直して、19歳で本格的にデビューでしたね。
デビューして、あっという間に30年経っちゃいましたよ。30代になる頃には、一度辞めようと思ったこともあったんですけどね。年齢的に若者の役ができなくなって、仕事も減っていた時期だったんですよ。料理が好きだったので、海外で居酒屋でもやろうかなと。でも、“酔っ払いの相手するのは、やだな”って(笑)。
ただ、やっぱり芸事が好きなんですよ。思い通りにいかないことも多いけど、現場にいることや物語に関わっているのが、好きなんです。格好よく“好きなんだ”って言えるほどではなくて、なんか“ちょっと好き”ぐらい(笑)。
今年で50歳になったんですが、年とともに情熱って失せてくるんだと思うんですよ。そこをどう奮い立たせていくかってとても大事なことだと思うんです。そのためにも、新しいことを始めていきたい。
そういう思いもあったのか、6年前から、父親の状況劇場の、のれん分けのような劇団『新宿梁山泊』で舞台に出るようになったんです。
これまで、父親と同じ道を歩かないようにしてきたんですが、その時に父親が脳挫傷になって、第一線を退くことになった。そのときに、小さい頃からよく知っている座長さんに声をかけてもらって、素直に“やってみたいな”って思えたんですよ。
初めて舞台に立ったときに、“あー、これか。これが楽しくて親父たちがやってきたのか”ってすぐわかりました。大劇場とは違って、空調もよくないから、舞台に立つと、観客の匂いが強烈で、“獣くせえ”ってなるんです。250人ぐらいの観客がひとつになって、巨大な獣臭を放つ生き物になる。それと、対峙するときの昂揚感がたまらないんですよ。
アイツ、バカだなって言われても、それを10年続ければ、誰もバカって言わなくなるんです。だから、50代もやりたいなと思ったことをやって年を重ねていきたいですね。