【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第9話
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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第8話 ■文政七年 夏と、秋(1)幾条の花火が、江戸の紫紺の空を燦爛と綾取っては散り、散ってはまた綾取る。
銀朱、丹、藤黄、鬱金、それに雲母(きら)。
花火の色を浮世絵の色材に例えれば、そんなところだ。
貞房「東都両国夕涼之図」国立国会図書館蔵
どおんと音がするたびに、花火は隅田川の河川敷や両国橋に押しかけた多くの見物人の心に鮮烈な金紗の絵の具を幾度も幾度も塗りつけ、そのくせ散りぎわははらはらと、余りにも呆気なく人々を追い越してゆく。
だから儚い夏の夜の夢の中に置き去りにされた男女は、胸にぼんやり寂寥を抱えたまま途方に暮れてしまう。
歌川広重「名所江戸百景 両国花火」ボストン美術館蔵
「身勝手な野郎だな、花火てえ奴あ」
長屋に引きこもりの国芳は顔を上げ、四角い天窓からすこんと見える花火を見て言った。
誰も答えない。
同居人の佐吉は仲の良い狂歌連中と勇んで両国橋へ繰り出して行った。
国芳は一人、魚油臭い角行燈の下にうずくまって盛んに模写をしている。最近ようやく手に入れた医学書「西説医範提綱(せいせついはんていこう)」のうち亜欧堂田善の銅板解剖図の頁を広げ、人の身体の骨組みから学び直しているのである。小銭稼ぎの凧に描いた水滸伝の豪傑の絵や、過去に出した錦絵の源平の英雄の絵にいまいち迫力がなく動きが硬いのは、人間の肉体を理解しきっていないためだと国芳は己の絵を分析していた。線画だけであっと言わせる画力が、国芳には必要であった。
(そうでなけりゃアあの女を笑顔にする事アできねえ)
頭に浮かんだのは惚れた女の泣き顔である。
女が最後に国芳に見せた表情は泣き顔だった。
悲しみと怒りに咽(むせ)ぶ歪んだ表情が頭に焼き付いて少しも離れない。
「アアもう、ドンドンうるせえなあ」
天窓の外は花火の大盤振る舞いで大変な騒ぎである。本来なら国芳も祭りの日にこんな風に長屋にこもっているような玉ではないのだが、今年は出掛ける暇もなく絵を描いている。
(みつは、)
とふと女を思った。
(花火も、知らねえのかなあ・・・・・・。)
たんぽぽを初めて見た時の、あの驚いた顔が脳裏に浮かんだ。
打ち消すように視線を紙上に戻すと視線の先にぽたりと水鞠が落ちて、墨が灰色に滲んだ。
国芳は、いつのまにか泣いていた。
「何泣いてんだ、わっちゃア」
墨で汚れた袖口で涙を振り払ったものの、模写した絵が天窓から差し込む花火の光でちかちか照らされるほどに、涙が出て仕方がなかった。
「確かに、下手くそだな」
笑えるほどに、自分の絵には何もかもが足りない。
「なんでわっちゃアこねえに下手くそなんだろう」
国芳は泣いた。
泣きながら、模写を続ける手だけは止めなかった。
狭い空間に、くしゃくしゃに丸めて捨てた白い紙の残骸がいつのまにか雪のように降り注いだ。
同じ時分の八月朔日。
吉原遊郭では季節外れの雪と見紛う白無垢姿の花魁が、娑婆とは無縁の華やかさで外八文字を踏み、仲之町の大通りを清艶に道中した。
八朔の花嫁道中である。
その一夜限りの花嫁も降りしきる夕立に攫われて思い出の泡となり、純白の花のあとには黒くわだかまった湿土がじっと空を睨む。
その土の上を吉原俄(よしわらにわか)の山車が練り歩き、人いきれの宵闇に秋の匂いが濃く立ちのぼり始める頃、十五夜の月見は巡って来た。
姐さん今日の月見の相方は、と振袖新造の美のるが訊いてきたから、佐吉はんよ、とみつは明るい声で答えた。
「佐吉はん?ああ、あの役者みたいな兄さんかあ。いいなあ姐さん」
美のるは声をうわずらせた。
吉田佐吉は今年の四月にみつの馴染みになったばかりの若い男だ。
実家が秣(まぐさ)問屋で尾張徳川家の下屋敷等に出入りしているというだけあって年齢に似つかわしくないほど遊び方は派手である。
初回は四月の十五日。狂歌連の仲間を大勢連れて揚がった。
ざっと見回しても連中で最も若いのは瞭然だが、佐吉は連の年配の者からも一目置かれていた。聞くと歌は連の中でも最も巧みで、連の判者をつとめているという。
見た目は芝居で二枚目を張っても良いほど端正な顔立ちで、どちらかといえば怜悧な印象なのだが、話すと面白い。
「尾州様の和田戸山の屋敷ときたら、ばからしいほど広いんだぜ。庭園も泉も橋も馬場もあって、神さんと仏さんと弁天さんがいっぺんに拝めて、しまいには作り物の宿場町まであると来た。殿様が遊びに来たら、家来どもが売り子になったり宿の女になったりして町屋ごっこをして遊ぶんだとさ。俺ア野良犬役になって、殿様にシッコしっかけてやらア」
「コラッ、お上が聞いてたらどうする」
生粋の江戸ッコ気質である佐吉には連中が冷や汗をかくような言動も多かったが、しかし普段聞けない話の数々は狭い籠の中の女郎には多分に魅力的であった。
佐吉は周りの狂歌師たちには「龍」とか「龍之介」と呼ばれていた。
「なぜ、『龍』と言いんす」
みつが訊くと、白髪交じりのなよなよしい狂歌師が笑って説明した。
「ああ、そいつアね、水滸伝(すいこでん)の九紋龍史進(くもんりゅうししん)がデエ好きだから、龍之介」
「えっ」
みつはつい、身を乗り出した。花魁が素っ頓狂な声を上げたので、狂歌師たちは随分驚いた表情をした。
「あちきも、史進がいっち好きでありいす」
「そうかい、花魁」
佐吉は白い歯を覗かせ、嬉しそうに微笑んだ。
話し始めると、二人はすっかり意気投合して語り合った。次々に男たちが相娼と連れ立って褥に移動するのを尻目に、朝どこかで目を覚ました犬の鳴き声が聞こえてくるまで一睡もせずに水滸伝の話ばかりした。その間佐吉はみつに指一本触れず、手も握らない。涼やかな笑顔で終始語ったのが、みつの心に深く残った。
「こんなに水滸伝の事を話したのは初めて」
「俺もだ」
帰り際、また来るよ、と佐吉は手をひらりとさせて、清風の吹き抜けるように去っていった。
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問題:この浮世絵の赤や黄色は何で着色されている?浮世絵の色の材料ってどんなもの?赤・黄色編「振袖新造」など吉原遊廓の女郎についてはこちら
少女〜吉原を知り尽くす姐さんまで。吉原遊廓にいた花魁とその周りの女郎たち日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan





