ずっと聞けなかった…。で、枕草子の「枕」とは結局どういう意味なんです?

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ずっと聞けなかった…。で、枕草子の「枕」とは結局どういう意味なんです?

平安時代の随筆「枕草子」

「枕草子絵詞」(部分)

平安中期、清少納言によって書かれた随筆「枕草子」は、同じく女流作家の紫式部による「源氏物語」と並ぶ平安時代の有名な文学作品ですよね。小中高のどこかの段階で「枕草子」の第一段「春はあけぼの……」を暗記したという人も多いでしょう。

そもそも「枕草子」が書かれた目的とは

「枕草子」は中宮定子に仕えた清少納言による随筆です。近年では、道隆の死、伊周の失脚によって不遇の身となった定子のサロンを魅力的に見せる、という目的があったという説が有力です。すでに道長が権力をふるい始めたころ、定子は一条天皇の寵愛を受けながらも一度は出家するなど、父の権力が絶大であったころに比べると定子サロンの輝きは失われつつありました。

そんななか「枕草子」に定子サロンでの出来事を描くことで、輝かしい定子様、そして華麗なサロンであることを示そうとしたというものです。

では「枕」にはどんな意味が?

目的はこのように、ある程度は推測することができます。では「枕草子」の「枕」とは?

「枕草子」が書かれるきっかけは、内大臣・伊周(定子の兄)が定子に献上した紙でした。このきっかけとなった話は「枕草子」跋文に書かれています。本文テキストを引用してみましょう。

宮の御前に、内の大臣のたてまつりたまへりけるを、「これに、なにを書かまし。上の御前には、史記といふ書をなむ書かせたまへる」など、のたまはせしを、「枕にこそははべらめ」と申ししかば、「さは、得てよ」とて、賜はせたりしを、あやしきを、こよやなにやと、尽きせず多かる紙を書き尽さむとせしに、いとものおぼえぬことぞ多かるや。(引用:石田譲二訳注『新版 枕草子』下巻/角川ソフィア文庫

伊周から賜った紙に何を書こうか、一条天皇は史記という書物をお書きになったが、という定子に、清少納言は「(宮様なら)枕でしょう」と答えています。

このやりとりが、後世にこの書物を「枕草子」と呼ぶきっかけになったとされています。

ただ、このやりとりで清少納言がなぜ「枕でしょう」と言ったのか、未だにこれが正しいだろうという説がありません。一条天皇が書いた「史記(シキ)」を「敷布団」とするなら(同じ寝具の)「枕」でしょ、というダジャレという説もあり、また普通名詞として使われた「枕草子」であるという説もあり、上記に引用している石田譲二訳注の『新版 枕草子』の注はその説をとり、「大切なことを書き留めておく、手控えの草子、であろう」としています。

ほかにもいくつか説はありますが、果たしてどれが本当なのか。疑問ですね。「枕草子」に書かれている定子と清少納言のやりとりは、教養がなければわからないようなちょっと捻ったものも多いですよね。この「枕」についてのやりとりも同じような捻りはきっとあるでしょう。

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