【追悼】毒蝮三太夫から桂歌丸さんへ「あの世の談志は“歌さん、来たか”って、喜んでるかもな」 (2/2ページ)

日刊大衆

 晩年は(明治の落語中興の祖・三遊亭)円朝の掘り起こしをやってたけど、俺は歌丸さんの新作ネタも大好きだったな。女が化粧するところを見せるネタがあったんだけど、これがシナを作るのがうまくてね。女形がぴったりだったよ。

 最後に会ったのは、歌丸さんが『笑点』の司会を引退する際、スペシャルゲストで俺が出演したときだったから、もう2年前になるのか。あのときは元気だったけどな。

 その後、俺のラジオの番組で歌丸さんの近所に行ったとき、家を訪ねてみたんだけど、「病院に行った」とかで会えなくてね。残念だったよ。

 よく知られているように、歌丸さんは横浜・真金町の女郎屋のせがれでさ。おれも吉原の女郎屋の近くで育ったから、「おたがい、女を食い物にして大きくなりやがったな」って冗談を言ったもんだよ。後で聞いたら、歌丸さんのところは真金町じゃ有名な老舗だったらしいな。金には困らないお坊ちゃんだったんだよ。その反動なのか、酒はあんまり飲まないし、女遊びもしない。曲がったことは嫌いで几帳面で、礼儀正しい真面目な人だった。

 歌丸さんと立川談志と俺は、学年は違うけどみんな昭和11年生まれなんだ(注:談志さんと毒蝮さんが早生まれ)。歌丸さんは、入門は談志より先だったらしいんだけど、一度、落語を辞めて、また戻ってきた経歴があったから、談志を「兄(アニ)さん、兄さん」って呼んでいた。談志が落語協会で歌丸さんが落語芸術協会と、所属する協会は違っていたんだけど、談志は「歌さん、歌さん」って、すごく好いてたよ。

 あの世の談志は「歌さん、来たか」って、喜んでるかもな。あっちには(五代目・三遊亭)円楽もいるし、これで落語の三人会ができる。「早く、こん平も呼べ!」なんて言ってたりして(笑)。

 あの人は「歌丸」って名前をずいぶん大きくしたよね。『笑点』を長寿番組にした立役者でもある。何しろ50年以上も続いているんだもん。日本テレビは社葬ならぬ「テレビ葬」をやってもいいんじゃないか(笑)。

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