日本初の猫バカ日記!?臣下を経て即位した宇多天皇を支えたのは、1匹の猫だった (2/2ページ)

Japaaan

この猫は、時の太宰少弐が人気を終えて帰京したときに光孝天皇に献上したもので、天皇が数日寵愛した後に定省に下賜されたとのこと。

定省は臣下時代も、天皇になってからも、この猫をとても大切にしていました。その溺愛ぶりはまさに「愛猫家」を越え、「猫バカ」といっても良いレベル。

何と猫は、当時は非常に高価で庶民はもちろん、貴族でも簡単には食べられなかった「乳粥」を毎朝与えられていたのです。現代の猫バカを自称する愛猫家たちも、驚きの厚待遇ですね!

更に定省は、猫にこのように話しかけていたといいます。

「お前には人間と同じように、心があるよね。僕の考えている事が分かるよね・・・?」

すると猫は、まるで言いたい事があるのに言葉にならなくてもどかしがっているかのように、溜め息をついて、定省の顔をにらんでいました。

定省にとって、猫は大切なペットであるだけでなく、彼の話を黙って聞いてくれる心の支えでもあったのです。

宇多天皇即位!

源定省の運命が大きく変わったのは、臣籍降下から3年後の仁和3(887)年8月のことでした。父・光孝天皇は病気で危険な状態となりましたが、この時点で天皇の後継者が決まっていなかったのです。

実は関白・藤原基経は、自身の妹で清和天皇の女御であった高子ととても険悪な仲だったため、その息子である貞保親王を天皇に推すことは避けたいと考えていました。
そこで基経は「群臣の推挙を光孝天皇が受け入れる」という形式で天皇の子である源定省を皇籍に復帰させ、翌日には皇太子に定めました。

そして光孝天皇がその日のうちに崩御されたため、定省親王は宇多天皇として即位することとなったのでした。

日本初の「愛猫日記」に登場した猫は、日本初にして最高の「招き猫」でもあったのです。

【参考文献】招き猫の宮 著者:菊地真・荒川千尋

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「日本初の猫バカ日記!?臣下を経て即位した宇多天皇を支えたのは、1匹の猫だった」のページです。デイリーニュースオンラインは、平安時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る