最初は医療目的だった?江戸〜明治時代に遡って日本の海水浴の歴史をたどってみました!

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最初は医療目的だった?江戸〜明治時代に遡って日本の海水浴の歴史をたどってみました!

夏になったら毎年欠かさずに出かける場所ってありますか?地元のお祭りや花火大会、田舎に帰省する人もいるでしょう。夏に出かける場所といえば海水浴場も定番スポットのひとつ。

でも日本で海水浴が楽しまれるようになったのはいつ頃からなんでしょうか?江戸時代の浮世絵で海水浴のシーンて観たことありますか?今回は日本の海水浴の歴史を、浮世絵作品や古写真とともに振り返ってみたいと思います。

海水浴のルーツは海水を利用した治療法「潮湯治(しおとうじ)」

レジャーとしての海水浴が日本に広まるはるか以前から、海水に浸かって病気を直す潮湯治が日本では行われていました。平安時代、呼び方は違いますが潮湯治に関連した歌が詠まれています。

潮湯治は江戸時代にも行われており、海水浴と同じように海岸へ出向き海に浸かりながら病気を直していました。潮湯治は皮膚病や神経痛、老廃物の排出や美肌効果もあったとされていました。温泉と似たような効果を求めて塩湯治をおこなっていたようですね。

歌川広重「相州江之嶋之図」

江戸時代ではこのように海に浸かるといったことは行われていました。この他に、海では海女さんも働いていましたし、子どもたちも川遊びとおなじような感覚で海で水遊びをしていたでしょう。しかし、現代のように海水浴という言葉はまだありませんでした。

日本初の海水浴場「大磯海水浴場」の誕生!

明治時代、医師であり政治家でもあった松本順(まつもとじゅん)が、海水浴の効用を蘭書で知り、長崎で蘭医をしていたポンペから本格的な西洋医学を学びます。そして松本は1885年、神奈川県大磯の照ヶ崎海岸に医療目的としての海水浴場を、日本で初めて開設することとなります。

小国政「大礒海水浴 富士遠景図」

それまで、先に述べた潮湯治は行われていましたが、日本ではまだ医療として確立したものではなかったためか、大磯に海水浴場を開設するにあたり、周囲の賛同を得ることは難しかったそうです。建設資金の不足などは会員を募り、渋沢栄一や安田善次郎らの協力も得ていました。

大磯海水浴場は医療施設であったため、治療目的に来る人たちが養性をとるための旅館「祷龍館」も併設。この祷龍館は病院としての役目も果たしていました。

歌川国貞(3代)「祷龍館繁栄之図」

海水浴場があり宿泊施設がある。まさに現在の海水浴場の始まりです。現在、大磯は「海水浴場発祥の地」と呼ばれ、松本順は「海水浴場の父」と讃えられています。

シマウマ水着のブーム到来

大磯海水浴場は広告なども活発に打つことで集客を増やし、大変な繁栄をします。海水浴に訪れる人々の目的は医療から徐々にレジャーへと移っていきます。そして明治時代の鉄道の普及も後押しし、全国的に海水浴場が設置されていくこととなりました。

当時、海水浴を楽しむときは男性はふんどし、女性は腰巻きや、水着と言うよりもシンプルな洋服のよなものを着ていたようです。

明治中期〜後半になるとワンピースタイプの縞々模様の水着が人気を博します。

このタイプの水着はシマウマ(縞馬)水着と呼ばれ、さまざまな彩り、さまざまな縞模様の水着が登場します。

シマウマ水着が流行したころには当時の芸妓さんがモデルとなり、水着姿の絵はがきなども販売されていました。このシマウマ水着ブームは大正時代まで続きました。


医療目的からはじまった海水浴も現在では夏の定番レジャーとなりました。その歴史をのぞいてみると、現在の形になるには様々な人々の尽力が欠かせなかったことがわかりますね。

参考:我が国における潮湯治から海水浴に至る歴史的変遷、大磯町ホームページ

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