江戸時代の男たちの性欲事情。回数セーブする者いれば、初夜に怒涛の18回を記録する神も!

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江戸時代の男たちの性欲事情。回数セーブする者いれば、初夜に怒涛の18回を記録する神も!

江戸時代の春画を見ると、さぞかし男性はみな性欲が強かったのでは…と思いませんか?ところが実際のところ、淡白な人もいたようです。もちろん、性欲が強い人も多かったようですが。

松平定信は虚弱体質のため回数をセーブ

旗本の坂部其は、あまりに性欲が乏しく、25歳で結婚するまで女性の体に触れたことがなかったそう。しかも、結婚しても、そういう気持ちにならなかったようで、性交はほとんどない結婚生活だったのです。1年で2~3回しかも妻への義理でその回数ですから、本当はしなくてもよかったのでしょう。きっと、奥さんの方が、女としての自分に自信が持てなくなってしまうほど、彼は淡白でした。

また、寛政の改革でおなじみの松平定信は、元々虚弱体質だったため、養生のために節淫を心がけていました。30歳の頃に1年半性交を絶ったこともあるとか。その後健康状態が徐々に良くなってきても、月に2度ほどに抑えたのです。

性欲はあっても、体のために我慢していたのですね。50歳近くになると年に5~6回、つまり2ヶ月に1回くらいのペースでしょうか。60代半ば以降は、性交を絶っていたそう。殿様など重要な地位の人は、自分の意志関係なく回数制限されることも少なくなかったとか。

儒者の平沢旭山は5月の回数が少ない?

儒者の平沢旭山は「辛丑目録」という日記に性交の記録をつけていました。1月8回、2月8回、3月6回、4月8回、5月2回…、と5月の回数が少ないのに注目!

当時は、「5月は湿気の多い月で「毒月」だから、君子は射精を控え早寝早起きを心がけるべき」と言われていたこと、儒者の太宰純から贈られた枕の底に「5月15日に交合すると男女とともに祟られるであろう」と刻まれていたこともあり、5月は控えたようです。このように健康への影響を考えて、性交回数を制限する人は多かったようです。

医師・天公法現は妻との初夜に怒涛の18回!

もちろん、性欲にまかせて大いに奮い立たせる人も、やはり健在でした!「藤岡屋日記」によると、天公法現という医師は、あまりに性欲が強くて妻に傷を負わせてしまったほど。妻を迎えて、翌日の夜にかけて、なんと18回も!!

初夜といえど、さすがにそれは多すぎでは…と思った人は、きっと多いはず。実際に新婦の陰部は腫れてしまったそう。その先の新婚生活も、ずっとそのペースだったのか気になりますね…。

性交も健康も大事…となると、回数を少なくして、その分一回一回を思いっきり満喫していたのでしょう。それにしても、あまりに極端だと、相手の女性も大変!何事も、ほどほどが一番ですね。

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