皇室制度の基礎を作り「日本」という国号を正式に制定した女帝・持統天皇

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皇室制度の基礎を作り「日本」という国号を正式に制定した女帝・持統天皇

女性の天皇と聞くと、 女性皇族に皇位継承権が認められていない現代ではどうしても「皇位継承者不在のための中継ぎ」という印象を持たれがちです。

しかし推古天皇についての記事からも分かるように、かつて実際に即位した女帝は決して「中継ぎ」という扱いではありませんでした。それどころか、中には「その後の日本という国と、皇室制度の基礎を作った」と言っても 過言ではない女帝が存在したのです。

持統天皇のまたの名は「高天原廣野姫天皇」

『小倉百人一首』には8人の天皇の歌が取り上げられていますが、その中に唯一取り上げられた女帝が、トップバッターの天智天皇の娘である第41代・持統天皇です。『日本書紀』によると、持統天皇は「高天原廣野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)」という別名も持っていました。

画像出典:Wikipedia/持統天皇

高天原といえば、太陽神・天照大神が治め、天津神がおられるという伝説の場所。天照大神が天岩屋(あまのいわや)に隠れ、世界が真っ暗になったことで有名な「岩戸隠れ伝説」の舞台となったのも、この場所でした。

持統天皇は国が民衆を統治する「公民制」を定め、「飛鳥浄御原令」の中で「日本」という国号を正式に制定し、「天皇」「皇后」「皇太子」も法的に定めました。

また今上天皇の譲位で耳にする機会の増えた「太上天皇(上皇)」も、退位後に孫で即位時15歳だった文武天皇を補佐するため、政治の表舞台に立ち続けた持統天皇が史上初でした。これにより、それまでの天皇の即位のための年齢や経験などの条件は緩和され、若い天皇も即位することが可能となったのです。

女帝・持統天皇には、まさに太陽神と重なるイメージがあったということなのでしょう。「日本という国」を確立したのは、古代の女帝だったのです。

百人一首に取り上げられた唯一の女帝の歌

そんな持統天皇御製の歌は、当時の都があった大和盆地の夏の訪れを、爽やかに詠んだ歌です。

春過ぎて 夏来にけらし 白妙(しろたえ)の 衣ほすてふ 天の香具山
(春がいつしか過ぎ去って、夏が来たらしい。白い衣を干すという言い伝えのある大和三山の1つ「天の香具山」に、白い着物が干してある)

画像出典:Wikipedia/天香具山

この歌の出典は『新古今集』の巻3・夏歌ですが、『万葉集』1巻にはその元となった歌が取り上げられています。

春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山

ちなみに、『万葉集』に取り上げられた歌が『新古今集』でこのように変化した理由は、『万葉集』の原歌が音に漢字をあてた「万葉仮名」で書かれていたためです。

爽やかな初夏の訪れを詠んだこの歌には、持統女帝の「いよいよ私の時代がきた!」という新時代への決意も秘められていたかも知れませんね。

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