【人の魂は21g】人が死ぬと魂の分だけ体重が軽くなる?死が与える影響とは

心に残る家族葬

【人の魂は21g】人が死ぬと魂の分だけ体重が軽くなる?死が与える影響とは

人が死ぬと、魂の分だけ体重が軽くなる、という説があります。それも比較的最近である20世紀のことで、アメリカの医師であるDuncan MacDougallによって人がまさに亡くなる瞬間に測定が行われ、約21gという結果を得たそうです。そして、この重量の変化は人が死に魂が抜けたことに起因し、よって魂の重さは約21gである、と彼は唱えました。

■死後に起こる変化

科学的にこのような説が認められることはありませんでしたが、以降小説や映画などでこの魂の重さは21gというのはよく言及されることになりました。

とは言え、実は人が無くなると重量の変化が起こることはありえないことではありません。例えば、肺の中の空気が無くなると人に掛かる浮力が小さくなり、結果重くなります。他にも、呼吸が止まることで体内に熱がこもり、発汗が起こって汗の分体が軽くなることも考えられます。

このように、人間の体には生体活動が停止することによって様々な変化が生じます。では、それ以外に人間の死は定義できないものでしょうか。

■脳死判定

まず思いつくのが脳死です。これは読んで字のごとく脳の死、ですので、体はまだ生きている部分があるという事になります。これはどのように判断されているのでしょうか。調べてみたところ、日本の脳死判定基準が日本臓器移植ネットワークのHPで解説されているのを見付けることが出来ました。

ここでの引用は最低限にしますが、大まかに言うと脳幹と大脳が司る、生体的な反射や自発呼吸の有無が脳死の判定に大きく寄与しているようです。更に、脳幹のみの機能停止を脳死と認めるか、脳全体の機能の停止を以て脳死と判定するか、など立場に様々な違いがあります。

■死せる孔明生ける仲達を走らす

ここまで科学的な生死の判定について述べてきました。ここで、少し捻った考え方をしてみましょう。つまり私たちが生きるという事を違った側面からとらえてみようという試みです。それは、周囲との相互作用です。相互作用とは、押したら押される、と言う風に影響をお互いに与えあうことをいいます。死後に周囲に影響を与えることが出来れば、それはある意味ではその人が完全に死んでいないという事が出来ます。冒頭に挙げた故事が浮かびます。ここでは語句の詳細な解説は避けますが、簡単に言うとある名将が亡くなった際に、敵将がそれを好機ととらえ攻めかかろうとしたが、その途中に名将がいつものように策略の一環として自分の死を偽装したのではないか、と疑心暗鬼になり結局積極的な攻撃が出来なかったというものです。

同様に、生前強い影響力を持っていた人物の価値観や哲学が後世に受け継がれる例としては、将棋界に故・米長邦雄永世棋聖が提唱した米長哲学というものがあります。自分にとっては勝ち負けが無い対戦であっても、相手の人生に影響があるならば死ぬ気で戦え、とう哲学ですが、この考え方は現在もプロ棋士の間に広く定借しています。

このような死後の影響が残るために何よりも大事なのは、生きている間に全力を尽くすことです。孔明の故事は、彼が生前知略を尽くして戦っていたから成立したものですし、米長哲学も米長邦雄氏が自身で実践し多くの勝ち星を挙げていなければ見向きもされなかったことでしょう。

■死後も残り続けるもの

生きるものはいつか死にます。科学的な基準も存在しますし、それを逃れたものは歴史上一人もいないでしょう。

しかし、死んで尚、生きている人の中に生き続ける教えや想いがあります。今回述べたような有名人による勇ましい話ではなくても、私たちは普段共に過ごす家族、友人、もしかしたら飼っている動物と影響を与え合って生きています。それは、死んだからと言ってどこかに失われるものではありません。

毎日を生きていく事で、私たちは死んだ後に生き続けることが出来るのです。

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