広島原爆の日。1945年8月6日、何が起きたのか?そして悲劇はその後も続いている
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戦争
今年も8月6日、広島原爆の日が巡ってきました。あの日あの時、あの巨大なキノコ雲の下で一体なにが起きていたのか。広島で起きた悲劇を伝える写真や映像に触れる機会も減っている今、広島の真実の一部をご紹介します。
その時人々はあのキノコ雲の下には、真っ暗闇の地獄が広がっていました。原爆投下直後、建物や木々がなぎ倒されて滅茶苦茶になった市内は不気味なほど静まり返っていたといいます。
さっきまで目の前にあった建物が、道路が、町が潰れて無くなっている。たった今隣で話していた人が何メートルも先に吹き飛ばされて、変わり果てた姿になっている。無事一命を取り留めた人々はその光景を前に、しばらくは何が起こったのか理解できなかったといいます。やがて暗闇の中で次々と炎が巻き起こり、傷ついた人々は助かる当てもなく彷徨いました。
多くの人々は肩からべろりと指先にかけて皮膚がめくれ、爪で止まって指先から垂れ下がったまま、幽霊のように手を前に突き出して歩いていました。手を上げていないと垂れ下がった皮膚が地面にこすれて痛かったのでしょう。
背中全体に火傷を負った人物 Wikipediaより
また、窓付近で被爆した人々の皮膚には無数のガラスがびっしりと突き刺さり、皮膚の下からガラスの青が透けて見え、動くたびにザリザリと音を立てていたといいます。人々はそれを声も立てずに、ひとつひとつ無言で皮膚から抜いていたというのです。真の極限の状況では、痛がったり喚いたりする事の出来る人すらもいなかったのです。
そして市内を走っていた電車の中には、手すりを掴んで立ったまま黒焦げになった人たちが大勢いました。
あの日、広島市内は、本物の地獄になったのです。
被爆電車651号車。爆心地からわずか700メートルで被爆。現在もエアコンを積み現役で運行中。出典元 Wikipedia
悲劇はその後も続いている原爆の悲劇は終わりません。被爆当日は奇跡的にも深い傷もなく助かった人が、原爆症により突然身体の異変を訴え、高熱や赤痢、悪寒、歯茎からの出血、髪が抜けるなどの症状を発症しその多くが亡くなりました。原爆の放射能は被爆後も広島に残って人々の身体を破壊したのです。
自身の被爆経験から「はだしのゲン」など原爆に関する漫画を描き続けた漫画家・中沢啓治さんは、「戦争だったからしょうがない」ではない。「悲しみ」ではない。これは忘れる事のできない「怒り」だ、と書き残されています。
怒りを、悲しみで終わらせてはいけません。日本人が忘れてしまったら、一体誰が覚えていてくれるというのでしょうか。一体誰が伝えていけるというのでしょうか。私たちには、責任があります。「あの日」の事を自発的に知り、伝え続け、そして二度と繰り返させない責任が。
爆心地の被害状況 Wikipediaより
参考文献 中沢啓治「はだしのゲン わたしの遺書」
トップ画像 :原爆ドーム
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