供養や弔いという概念が発生したのがいつ頃からなのか調べてみた

心に残る家族葬

供養や弔いという概念が発生したのがいつ頃からなのか調べてみた

7月13日に筆者の菩提寺において、盂蘭盆会の法要があったので参加してきた。酷暑のなか、墓参を済ませた後本堂にて汗だくになりながら水分を補給しつつ僧侶の読経や説法を聞き故人を偲んでいた。法要終了後一緒に参列した親戚と雑談中、甥から面白い質問を受けた。

■遺跡から発掘された人骨は供養されるのか?

筆者の菩提寺には戦国時代に建立された古い墓石があり、菩提寺所在地の指定文化財となっているのだが、子孫とされる方は既におらず、墓参に訪れる方も久しく居ないという。それに関連して、昔の遺跡や古い墓から出土した人骨は、最終的にどのような扱いになるのか、供養はされるのかというのが質問の内容であった。筆者も詳細は知らない故に、調べたうえで後日回答する旨甥に伝えたのだが、調べてみると面白い結果となった。

■いつの時代の人骨かによるとのこと

結論を言うと、旧石器時代や縄文時代・弥生時代と言った古代の遺跡(法的には埋蔵文化財包蔵地と言う)から出土した人骨は、埋蔵文化財として扱い所有権は国(文化庁)に所属するが、出土地の県若しくは市町村に国から委託されたうえで、出土地にて保管されることになり、供養等は行われないということであった。

■人骨発見後は警察に届け出をし事件性の有無を調べる

細かく見てみると、遺跡において発掘中に人骨が発見されると、考古学者等の発掘関係者は最初に出土地を所轄する警察に連絡する。警察は出土人骨を行旅死亡人(行旅病人及び行旅死病人取扱法)として扱い、事件性の有無を徹底的に調査する。事件性が無いと確定した段階で警察の捜査は終了すると、出土人骨は出土地が所在する県若しくは市町村の福祉課に一任される。その後、福祉課において発掘を担当した考古学者達と協議しつつ出土人骨の年代や学術的価値について、詳細に鑑定する。鑑定終了後出土人骨は埋蔵文化財として保管されることになる。この場合警察においては、出土人骨の年代や学術的価値について一切関知せず、あくまでも事件性の有無についてのみ判断することになる。


■釈迦やキリストが生まれる前か後かによって変わる?

供養の有無について気になったので、関東一円の埋蔵文化財センターに電話取材を試みたところ、全て丁寧に対応して頂いたのだが非常に面白い回答を得た。それは、出土人骨が亡くなったのは旧石器時代や縄文時代ならば数万年前であり、弥生時代ならば数千年前の話であるために、釈迦やキリストは生誕しておらず、当然仏教やキリスト教もない時代に亡くなった人たちの人骨を供養する方法が無いからだとのことだった。回答を聞いた筆者は、思わず笑いだしてしまい担当者も同様に笑っておられた。確かにその通りであり、更に供養という言葉自体も仏教用語であったはず。故に弔うことも有る意味できないためにそのまま丁重に保管するしかないことにも納得した。

■最後に・・・

死者を弔うという概念が発生したのが何時頃かについては、考古学者達の意見を待つしかないが、最古の埋葬事例はイスラエルにて発掘された約一万二千年前の遺跡であるという。日本においても、縄文時代の遺跡から屈葬された人骨が多く発掘されているが、当然当時の死生観に関する資料は無い為に想像するしかない。今回調査をするにあたって、古代からの死生観の変遷を垣間見た気がして、考古学好きな筆者としては得難い体験であった。甥にも経緯を踏まえて回答したら面白いと喜んでいたので、二重に満足できた。

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