おや?ここに神社?横浜の岡野神社はどんな経緯でこの場所にできたのでしょうか?
神社といえば、京都や鎌倉などの観光名所に多く鎮座している印象です。しかし時には街中を歩いていて、「おや?ここに?」と意外に思うような場所で神社を発見することもあります。
横浜市西区岡野の岡野神社も、そんな神社の1つです。
ショッピングセンターの向かいにぽつんと立つ赤い鳥居は、閑静な住宅地の中でひときわ鮮やかな色彩を放っています。
普段は神職の方がいる様子もなく、人の気配もほとんどないこの神社は、どんな経緯でこの場所にできたのでしょうか?
岡野神社の歴史岡野神社の歴史を調べると、「横浜新田」の開発が始まった頃にまで遡ります。「横浜新田」は、現在の神奈川県横浜市中区~南区の一体にまたがる埋め立て地です。
弘化4 (1847)年の正月に、三河国碧海郡川島村(現在の愛知県)の太田佐兵衛が、当時の武蔵国久良岐郡横浜浦の新田開発を計画し、そのための祈願を讃岐国象頭山金刀比羅大権現で行いました。
新田開発は無事に成功したため、彼は再度象頭山へ登り、その御神体を受け新田の総鎮守として作られたのが金比羅神社でした。この神社こそ、現在の岡野神社の原型となる神社だったのです。
安政6(1859)年、太田新田の太田1丁目~8丁目までが「入舟町」と改められ、それに伴い金毘羅神社はこれらの地域の総鎮守となりました。
度重なる焼失、そして現在の場所へその後、慶応2(1866)年の末広町出火の火事、明治6(1873)年の相生町より出火の火事、大正12(1923)年の関東大震災などに遭遇し、その度に移転を余儀なくされました。
神社の名前が現在の「岡野神社」に改められたのは、昭和3(1928)年に中区新山下町に移転し、その後の昭和15(1940)年に当時近隣にあった豊川稲荷社を合祀したときのこと。
現在あるこじんまりとした社殿は、昭和27(1952)年に建てられたものです。第二次世界大戦時の空襲で焼失したことにより、再建されたのでした。まさにこの神社は、横浜新田の開発の歴史、そして横浜の歴史と共にあった神社ということが分かります。
決して派手で目立つ存在ではないものの、相鉄線・平沼橋駅から徒歩5分程度という好立地に鎮座している岡野神社(神奈川県 横浜市西区岡野2丁目4−15)。
お近くへ立ち寄った際には、1度参拝し、横浜の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
岡野神社日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
