世界平和を願った「西郷どん」その(現代の政治家に足りない?)政治思想が凝縮された「西郷南洲遺訓」とは

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世界平和を願った「西郷どん」その(現代の政治家に足りない?)政治思想が凝縮された「西郷南洲遺訓」とは

はじめに・『西郷南洲遺訓』とは

♪薩摩西郷さんは 世界の偉人……♪
※民謡「鹿児島おはら節」より。

幕末から明治にかけて大活躍した「維新三傑」の一人、ご存じ「西郷隆盛」

薩摩人 心の故郷、桜島の雄姿。西郷どんのスケールを彷彿とさせる。

ご当地の薩摩は元より、日本各地で「西郷(せご)どん」と愛されている西郷ですが、彼が政治家として成し遂げた偉業の裏には、世界を見据えた広い視野と、日本の伝統文化を修めた深い見識に基づく政治思想が貫かれていました。

そのすべてを知ることは出来ませんが、明治三(1870)年に出羽大泉(旧 庄内)藩主の酒井忠篤(さかい ただずみ)が藩士70余名と共に西郷の元を訪ね、教えを請うた時の話が明治二十三(1890)年に『西郷南洲遺訓(さいごうなんしゅう いくん)』としてまとめられ、今日私たちが学べるようになっています。

酒井らがかつて(戊辰戦争で)敵同士だった薩摩の西郷を慕ったのは、降伏した自分たち(当時の庄内藩士)に対する丁重な態度と、藩閾の権力闘争にとらわれず、世界情勢をにらみ、日本の行く末を見据えた政治思想に感服したためと言われていますが、こうしたところにも西郷の人徳が偲ばれます。

「西郷どん」の予見した未来と、彼が遺した政治思想

さて、『西郷南洲遺訓』は41か条の教訓と2か条の追加、問答集と補遺によって構成され、現代でも十二分に通用する(むしろ現代の政治家に足りない?)政治思想が凝縮されています。

そのすべてを網羅するのはさすがに大変なので、いくつか印象的なものを紹介しますが、その一つ一つに厳しい国際情勢を直視し、日本の独立を死守する危機意識に満ちており、まるで150年後の未来(現代の世界情勢)を予見しているような鋭さが感じられます。

浮世絵・鹿鳴館の様子。

「八 廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我國の本體を居ゑ風教を張り、然して後徐かに彼の長所を斟酌するものぞ。否らずして猥りに彼れに倣ひなば、國體は衰頽し、風教は委靡して匡救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす」
※意訳:諸外国からすぐれたシステムを採り入れる時は、まず我が国のあるべき姿・ビジョンを明確にしておいてから、それにマッチする部分を取捨選択すること。そうしないでやたらと外国かぶれに走ると、我が国は衰えてモラルが混乱し、最後は植民地のようになってしまう。

19世紀の版画・奴隷貿易の様子。

「一一 文明とは道の普く行はるゝを贊稱せる言にして、宮室の壯嚴、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふには非ず。(中略)實に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧に國に對する程むごく殘忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、其人口を莟めて言無かりきとて笑はれける」
※意訳:文明とは人々の高いモラルに対する評価であって、決して立派な建物と豪華な服とか、そういう見てくれの良さではない。(中略・ある人と「西洋は文明か野蛮か」と議論をしていて)西洋列強が本当に文明国家なら、未開の国や民族に対して愛情と敬意をもって接するべきなのに、(現実には大航海時代以来、アジアやアフリカ、ラテンアメリカ諸国に対して)弾圧や搾取ばかりしているではないか、と論破した。

「一七 正道を蹈み國を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん」
※意訳:たとえ国家が滅亡してでも正義を貫く覚悟がなければ、外交は上手く行かない。相手国が強いから、と事なかれ主義で媚びていると、バカにされてかえって友好関係を損ない、最後は支配されてしまう。

……等々、帝国主義が蔓延する弱肉強食の国際情勢にあって、あくまでも日本のあるべき姿、すなわち道義国家としての理想を貫く姿勢と覚悟こそ「西郷どん」の真骨頂と言えるでしょう。

理想は死なず・西南戦争から「自由民権運動」へ

小林永濯「鹿児島新報田原坂激戦之図」明治10年3月

しかし、そうした理想主義は盟友であった大久保利通らの現実主義に淘汰され、政界から勇退した西郷ですが、維新の理想を失った明治政府の苛烈な政治に憤る士族らに担ぎ上げられ、一大叛乱(西南戦争、明治十・1877年)を起こします。

敗れ去った西郷は自決しますが、その精神は多くの志士たちに受け継がれ、世直しの闘争は武力から言論(自由民権運動)へと移行して行くのでした。

歴史の授業では、何だかよくわからない内に終わってしまった印象の自由民権運動ですが、実は維新の理想を取り戻すために立ち上がった熱い漢達(もちろん中には女性もいました)の繰り広げた、壮絶な言論闘争だったのです(が、それは又の機会に)。

「敬天愛人」の精神・真の国際協調を求めて

伝・西郷隆盛揮毫「敬天愛人」。

あれから百年以上の歳月が流れました。

「理がなければ、かえって利がある(要約)」

かつて、そんな論陣を張って明白な侵略戦争を支持したメディアがありましたが、たとえどんな大国であろうとも、盟友なればこそ道義を全うする姿勢と覚悟こそ、国政を預かる政治家に求められる何よりの資質と考えます。

敬天愛人(けいてんあいじん:天を敬い、人を愛する)」

かつて「西郷どん」が唱えた国際協調・世界平和を少しでも実現するため、今を生きる私たちの課題として『西郷南洲遺訓』は伝えられているのです。

参考文献:山田済斎 編『西郷南洲遺訓 附 手抄言志録及遺文』岩波文庫、2009年7月6日 第57刷

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