天才テリー伊藤対談「宝田明」(1)終戦で満州の生活は一変しました! (2/2ページ)

アサ芸プラス

テリー ほどなく終戦の日を迎えますが、その時はどんなお気持ちでしたか。

宝田 玉音放送を聞いた時は「ああ、これで日本はダメなんだな」と、内臓をえぐり取られたような気分になりました。僕らは軍国少年で「関東軍の精鋭の一員となって、祖国日本の北の防塁たらん」と思っていましたから、夢がもろくも崩れてしまったんです。父母も座り込んで、しばらく動けないような状態でした。

テリー そうなると、占領されていた中国の人たちの態度はコロッと変わったんですか?

宝田 いえ、ふだんから友好的に接していた人たちは「今、日本に帰っても苦しいでしょう。我々がかくまうから残ってください」と言ってくれるぐらい親切でしたよ。しかし、虎の威を借りる狐で、ふだんから中国人をこき使ったり、いばり散らしていた人の家は、略奪にあったりもしていましたね。

テリー その時には、もうソ連の侵攻も始まっていましたよね。

宝田 まさかソ連は火事場泥棒みたいなことはしないだろう、と思っていたら、日ソ友好条約を破って参戦して、8月20日頃になると、スターリン率いる第一機動部隊がハルピンにもドーッと入ってきた。それで関東軍は一瞬にして武装解除となりました。

テリー そうすると、どんな状況になるんですか?

宝田 頼みとしていた軍も警察機構もないし、民間人は檻の外に放り出された子羊みたいなものですよ。しかも第一線部隊はソ連の囚人部隊で、死刑になるような囚人に鉄砲を持たせているんですから。

テリー おちおち外出もできませんね。

宝田 いちばんつらい思いをしたのは成人女性ですね。いつソ連兵が家の中に入ってくるかわからない、町を歩くのも危険だというので、断髪して風呂敷をかぶって5~6人で徒党を組んで買い物に行き、日の高いうちに帰ってくる、という状況だったんです。

テリー 断髪って、丸坊主にしたんですか。

宝田 ええ、女性だとわかってしまうのは、当時そのぐらい危なかったんです。

「天才テリー伊藤対談「宝田明」(1)終戦で満州の生活は一変しました!」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2018年 9/13号宝田明ゴジラテリー伊藤戦争連載などの最新ニュースを毎日配信しています。
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