田中角栄「名勝負物語」 第一番 田中真紀子 (2/3ページ)

週刊実話



 「私が4歳か5歳の頃、母と一緒に目白に伺ったら、真紀子さんがメロンを出してくれたり、その後もお花の入った香水を頂いたこともありました。その後も、真紀子さんからの母親の手紙はじつは別れた夫の苗字になっていたから、真紀子さん、家庭を持ちながら父親の仕事を非常によくやってくれている秘書と思っていらしたんでしょうね。だから、本当のことを知ったとき、さすがに、ああ裏切られたんだ、と思われたんだと思います」(『週刊文春』平成24年3月29日号=要約)

 しかし、佐藤とのこうした愛人関係の新たな露見は、ついに真紀子を爆発させた。時に、真紀子は結婚した田中直紀との間に、2人の幼児がいた。一方の田中は、金脈、女性問題の追及で、進退極まっていた。その田中の首相辞任の決断は、結局、愛娘の一言だったというのがもっぱらである。

★真紀子の一言が決めた首相退陣
 「田中は、真紀子の意見を求めたそうです。真紀子とすれば、子供たちが恥ずかしくて学校にも行けない。『どうするの。何とかしてよ。私も外を歩けやしない』と迫ったとされる。孫かわいさが人一倍の田中は、この一言で辞任を決断したと言われている。田中は、のちに言っていた。『金脈問題も、ちゃんと説明すれば切り抜けられた。しかし、娘の一言には勝てなかった』と」(元田中派担当記者)

 真紀子にとっては、政治家として尊敬してやまなかった父親ではあったが、最後まで女の生理として愛人問題は許せなかったようだ。それは、田中が入院中に辻和子との間にもうけた2人の息子の面会を拒否、通夜でも会わせることをしなかったことにも表われている。長兄の京は、通夜の翌日の密葬で、かろうじて一般弔問客に混じっての焼香を許されただけだったのだ。

 その後の真紀子は、田中の地盤を引き継ぐ形で政界入りし、父親譲りの頭の回転のよさと弁舌の巧みさで外務大臣に就任した。田中は常に、のちに3人の子持ちとなった真紀子にこう言っていた。

 「子供を作るなら3人がいい。1人でも2人でも、親の膝を独占できる。しかし、3人になれば競争が始まる。人間社会が、競争社会であることを教えることが、子供のためになる」

 真紀子は、父親のこんな“言いつけ”を守った形になっている。
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