生きるか死ぬかの瀬戸際…平将門が迷走した悲話が残る東京都の最高峰「雲取山」とは? (2/4ページ)
やがて伯父の平国香や源護と土地争いなどおこし、結果的に朝廷に弓引く形になってしまいます。関東を独立した国にしようと「新皇」を名乗り、朝廷からは逆賊・朝敵とされ真っ向対決する身に。
そして征夷大将軍に任命された藤原忠文、奥州藤原氏の祖先である藤原秀郷などに追われ、あえなく討たれて京都でさらし首になりました。
雲取山へは、春の収穫のため兵を国元へ帰さざるをえず、軍勢が手薄になったときに追い込まれ、各地を転戦した時にやってきたようです。
悲劇を伝える看板は12個看板は12個あり、立てられたら場所の地名や名称を伝えています。将門一行は鴨沢登山口から七ツ石山という小ピークを越えて、雲取山を目指したようです。しかし看板は途中で終わっており、彼らの最終目的地がどこだったのかはわかりません。
その看板をざっとたどっていくと…
お祭りと鴨沢の福寿寺…将門一行が近隣の住民も交え三日三晩お祭り騒ぎをしたことから「お祭り」という地名がついた。近くの福寿寺で正室の紫の前が体を休めていたが、酒宴の最中に敵が近くに来たことを知り、再び七ツ石へ向かい始める。 釜場(かんば)タワ…ここまでくれば安心と、一行が自炊する 小袖…将門は川で洗濯を始めたが、夕立に遭って小袖を置き忘れてしまう 茶煮場(ちゃにっぱ) …雨がやんだので、みなで一服する 風呂岩(すいほろいわ)…簡単な岩風呂を造り、体を休める。その後敵に見つからないよう打ち壊したが、その岩が白石となりその形を留めている。