河童や半魚人の祖先か?異端の「アクア説(水生類人猿)」を独自に推理する

まいじつ

(C)coka / Shutterstock
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なぜ我々は他の霊長類と比べて、体毛が極端に薄く、2本足で常時歩けるのか? なぜ指の付け根に“水かき“を持つ人がいるのか? 「それは人類が進化の途中で、水中に居たからだ」とする奇抜な人類進化論『アクア説』が、いま大きな注目を集めている。

この説は1942年ドイツの解剖学者が『水生類人猿説』として最初に提唱したが、当時の学会からは即座に「トンデモ論」の烙印を押され、そのまま時代に埋もれてしまった。しかし近年、世界中で再評価の機運が高まり、著名な人類学者や考古学者が支持を表明するなど、ほぼ新説に等しい扱いを受けつつあるものの、この分野で圧倒的な権威を持つ古人類学の主流派は、一様に激しい批判を続けている。これは一体何故なのだろうか?

主張の違いに隠れた意外な結論とは?

「双方の主張の違いをまとめるとこうです。まず人類が猿から猿人に進化する800万年前~500万年前には長い寒冷期があり、猿たちは温暖なアフリカ大陸の東部に広がる大森林に集まり、木の上で空前の繁栄を遂げていました。しかしその後、大規模な地殻変動で出来上がった『大地溝帯』という大地の盛り上がりが、周囲の気候を激変させ、急激な乾燥が進んで森林が減少すると、猿たちは木から地上に降りてサバンナ(乾燥した草原)へ移動せざるを得なくなります。古人類学ではこの段階で猿が二足歩行を始め、獲物を求め長距離を移動したため汗腺が発達し、体毛が薄くなり、猿人に進化したとしています」(超常現象ウオッチャー)

「しかしアクア説ではこの時代、寒冷期と温暖期が数万年~十数万年ごとに交互に訪れ、温暖期には極地の氷河が大量に溶け、多くのサバンナに海水が流れ込み、猿たちは否応なく“水浸しの地域で暮らしていた可能性が高い“としています。海水は森林を枯らし、塩辛くて飲めませんので、猿たちは真水を求め、自然に大きな河川や湖の近くに集まる。つまり豊かな汽水域(真水と海水が入り混じる場所)で、豊富な貝や魚などを取って食べ暮らしているうち、徐々に邪魔な体毛が薄くなり、“二足歩行へ変化した“としているのです。例えば標高が低くて川が多く、この時代は温暖な浅瀬だった可能性のある北アフリカの『アファール盆地』からは、初期猿人の化石が多数発見されています」(同ウオッチャー)

なるほど……。水の中では浮力もあるし、プールのようにピョンピョン跳ねて歩いていたのかも。アクア説ではその後、温暖期が終わり寒冷期が30万年以上続いたため海水が引き、“人類は地上に戻った“としている。つまり古人類学の定説と同じなのだ。これがどうにも納得できない。

例えば日本の河童や西欧に伝わる人魚伝説は、このころ地上に戻らず、そのまま水中で暮らすことを選んだ「水生人類の子孫」だったのではないか? そう考えると今も海の中には想像を絶する“半魚人たちの大海底帝国“が広がっていたとしても、おかしくはない。

(文/真田正行 協力/超常現象ウオッチャー)

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