長嶋茂雄と松井秀喜「巨人軍監督」極秘会談、独占スクープ全内容

日刊大衆

写真はイメージです
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 ジャイアンツの命運を握る“大物”2人が「将来」を密かに語り合っていた! その衝撃の会話内容を詳報する――。

 広島が優勝を飾ったペナントレース。球界の盟主たる巨人は苦しい戦いが続いた。「高橋由伸監督(43)は、今年が契約最終年。12日に山口オーナーが続投を示唆しましたが、今季は監督の采配自体に批判が上がったことも少なくない。最終的な成績がどうあれ、来季の監督人事は、すんなりとはいかないでしょうね」(スポーツ紙デスク)

 由伸監督の去就が微妙となれば、今オフに監督問題が注目を集めるのは必至。そんな折、監督人事にも大きな影響力を持つ長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(82)が、“気になる動き”をしていたという独占情報が飛び込んできた。「今夏に緊急入院する前なんですが、ミスターはゴジラに監督の就任要請をして“極秘会談”を行っていたというんですよ」(プロ野球関係者)

 ミスターといえば、7月に入院して、現在も病床の身。本誌既報通り、11月の復帰を目指して療養中だが、先日、巨人戦をテレビ観戦中、澤村拓一投手(30)のふがいないピッチングに怒り、思わずベッドから起き上がるなど、“らしさ”が戻ってきている。そんなミスターが、“ゴジラ”松井秀喜(44)に巨人軍の監督就任を内々に打診していたというのだ。松井の現役引退以降、ファンやメディアの間で、「松井監督待望論」が消えることはなかった。「誰よりも“監督・松井”を熱望していたのは、長嶋さんかもしれません」と言うのは、ある巨人軍関係者だ。

「松井の現役晩年の頃には、恒例となっているオフの食事会で毎年、長嶋さんが松井に“いつでも空けて待ってるから”と言い続けていたそうです。この発言はもちろん、“引退後は巨人の監督になってくれよ”という意味。MLBに行かせたのも、その経験を巨人に持ち帰ってほしいという思いからのようです」(巨人軍関係者)

 しかし、松井は引退後も巨人のユニフォームを着ておらず、現在はヤンキースのGM特別アドバイザーという役職についている。「松井のヤ軍での仕事は、マイナー選手を巡回コーチとして指導し、同時に選手の状況を上に報告すること。キャッシュマンGMからの信頼も厚く、チーム編成にも関わっているようですね」(スポーツ紙記者)

 今もアメリカを拠点とする松井に対し、“ヤンキースとの関係が強くなりすぎて戻りづらいのでは”という声も上がっていた。

■渡邉恒雄の怒りを買ったゴジラ松井

 しかし実際の事情は少々異なるという。驚くことに、そもそも巨人軍の内部では、当初、松井監督の可能性はなかったというのだ。話は、2002年の松井の“メジャー移籍”までさかのぼる。「当時、巨人としては、松井をFAでメジャーに行かせることは絶対に避けたかった。なので、メジャー移籍の意思を固める松井に対し、原辰徳監督(当時)や長嶋さんをはじめ、あらゆる説得交渉が進められたんです」(球界関係者)

 その中心となっていたのは、渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆(92)だった。「最後はナベツネさん自身が出馬し、巨人監督の約束手形を切って、引き止めようとしたそうです。それでも松井の決心は、まったく変わりませんでした」(同)

 監督手形までソデにした松井は、ナベツネ氏の怒りを買ってしまう。結果、巨人から松井監督の線が消えてしまったのだという。そして、これには“意外な証人”も存在する。「それは王貞治ソフトバンク会長(78)です。まだメジャーに松井がいた頃、王さんが旧知の記者に“松井の巨人監督はないよ。ナベツネさんが怒っているから”と話していたそうなんです。この時点で、松井監督の目がなかったのは確実でしょうね」(スポーツ紙記者)

 しかし、“監督NG”の状況は、松井の現役引退を境に一変。巨人軍の監督人事について、ナベツネ氏の口から“松井”の名前が出るようになったのだという。「担当記者の囲み取材の中で、“ポスト原”の有力候補として、松井の名を挙げるようになったんです。まず原監督の下で帝王学を学ばせて、それから監督就任というのが、ナベツネさんの構想でした」(巨人番記者)

 激怒していたはずのナベツネ氏が、“松井監督構想”を公言。ここから巨人のラブコールは本格化していったようだ。そして“松井監督誕生”へ向けて、大きく舵が切られたのが2015年。契約満了を迎える原監督の後任として打診されたのだ。「当時の堤GMが密かに渡米し、松井に監督要請をしたそうです。しかし松井は、これを固辞。堤GMは、“松井が受けなれば、順番を逆にして、由伸を監督にするしかない”と、後輩の名前まで持ち出して説得したといいます」(前同)

 当時、高橋由伸はまだ現役選手。監督就任となれば、当然現役続行は難しくなる。「それでも松井は受けなかった。“順番なんて気にしないでください。彼には務まりますよ”と、由伸を推したそうです」(同)

 結果、由伸は現役引退し、巨人の監督に就任。現在に至るというわけだ。

■「僕には監督をやる自信がありません」

 と、ここまで松井の監督就任をめぐる歴史を振り返ってきたが、ここで話を、ミスターと松井の“極秘会談”に戻そう。本誌がキャッチしたミスターと松井の“極秘会談”。そこではいったい、どんな内容が話されていたのか。

「ミスターは常々松井に“巨人の監督になれ”と言っていましたが、この日、改めて監督になるように、今までないほどの熱意を込めて頼んだんです。そして、松井を巨人の監督にすることが“オレの人生最後の仕事だ”と熱く語り、松井を説得したようです」(前出のプロ野球関係者)

 2人の極秘会談は1時間にも及んだそうだ。しかし、ミスターの“人生最後の仕事”という覚悟をもってしても、松井は監督就任に難色を示したという。

「監督就任を勧めるミスターに対して、松井は“僕には監督をやる自信がありません”と、返したそうなんです。松井がミスターに監督を引き受けない理由を口にしたのは、これが初めてだったようですね」(前同)

 ミスターは、この松井の言葉に大きなショックを受けたという。そして、温厚なミスターにしては珍しく、かなり強い口調で、松井を“叱責”したというのだ。《勝負事は丁か半か、その2つしかない!》《オレを見ろ! 監督就任1年目は最下位だ。それでも、その恥辱をはね返してきたんだ!》《それが勝負の世界で生きる勝負師なんだ!》

 そんなミスターの激しい憤りを間近で初めて感じたことで、松井の心境には変化が見られたのだという。

「ミスターの強い言葉に、松井も思うところがあったのか、頑なだった態度は次第に和らいでいったそうです。最終的には、終始、重い雰囲気だった松井が笑顔を見せるまでになったと聞きます。場の空気こそ和らぎましたが、ミスターの監督要請に、最後まで松井が首を縦に振ることはなかったといいます。ただ、松井が“笑顔”を見せたことを、ミスターはポジティブに捉えたようですよ」(同)

■原辰徳や江川卓、桑田真澄らの名前も次期監督候補に

 松井を巨人の監督にするという、ミスターの人生をかけた、最後の熱い思い。それは松井の巨人入団から築き上げられた“師弟関係”によるところが大きい。1992年のドラフト会議。超高校級スラッガーとして4球団が競合した松井を引き当てたのは、他ならぬ、当時の長島監督本人だった。そしてミスターは、「4番1000日計画」と銘打ち、松井にマンツーマンで英才教育を施していく。

「長嶋さんは、松井の素振りを毎日、欠かさず見守った。それは監督を勇退しても続き、松井がメジャー移籍した後も、長嶋さんが渡米した際にはホテルでバットを振らせたといいます。ときには国際電話をかけて、スイングを音でチェックしていたようですね」(前出の番記者)

 松井も今年7月、野球殿堂入りの表彰式でミスターとの練習を振り返り、“心と技術を授けてくださいました”と、感謝の言葉を口にしている。まさに、深い絆で結ばれた関係なのだ。

 今、松井の大恩人・ミスターは病に伏している。「そんなミスターの人生最後の夢を実現させようと、松井が巨人の監督就任に動く可能性もまだありえますよ」(プロ野球関係者)

 実際、松井以外の巨人の次期監督候補を見ると、監督人事は混迷を極めそうだ。「最有力は斎藤雅樹投手総合コーチといわれていますが、球団内での評価は低く、ある大物OBは“指揮官の器じゃない”と酷評するほど。他に原、江川、中畑、桑田といったスターの名前も挙がってはいますが、各々がそれぞれの事情で、監督候補のリストからは除外されている。まさに“人材難”といった感じですね」(前出の巨人番記者)

 そこで再浮上してくるのが、やはり“松井秀喜”というわけだ。「ナベツネさんも球団首脳も、本当に松井の監督就任を熱望しています。他の監督候補と違って、巨人側には何の障害もない。つまり、あとは松井次第なんです。長嶋さんが闘病中という現状も踏まえて、今もう一度監督要請があれば、松井がミスターの夢をかなえるため、首を縦に振ることも十分ありえますよ」(前同)

 ミスター最後の大きな夢。巨人軍の監督としてユニフォームを着る“松井秀喜”を見てみたい!

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