朝ドラ『まんぷく』モデル・安藤百福「どん底から這い上がった」7つの言葉 (2/3ページ)
そこから這い上がってきたとき、食を掴んでいた」
軍用機用エンジンの部品製造会社を知人と共同経営していたとき、資材が盗まれる被害に遭ってしまう。当時、資材は国から支給される官給品。軍の資材に手をつけたとなれば、最悪の場合、殺されてしまう。憲兵隊に正直に通報すると、「本当は貴様が横流ししたんだろ!」と逮捕。45日に及ぶ留置場生活で、百福は人生初の地獄を味わうことになる。
留置場で出される食事は、麦飯と漬物、食器は汚れて悪臭を放ち、とても食える代物ではなかった。来る日も来る日も絶食を繰り返し、体が極限状態になるうちに、百福は「食」というものに突き当たる。
人間にとって食べ物ほど崇高なものはないーー。
何日も食べる気がしなかった食事が喉を通るようになった。汚れた皿も気にならなくなった。濁った水も飲めうようになった。
■「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんでこい」
結局、知人の口添えもあって、留置場から救出されることになった百福だったが、地獄の留置場生活は「食」の偉大さに気づくきっかけとなったのであった。転んでもタダでは起きないのが安藤百福の流儀なのだ。
■「事業を始めるとき、金儲けをしようという気持ちはなかった。何か世の中を明るくする仕事はないかと、そればかり考えていた」
出所後、長期療養を余儀なくされた百福は兵庫県上郡で終戦を迎える。
1946年、大阪府和泉大津市に百福は移り住む。町には痩せ細った子供たちや亡くなった餓死者たちがあふれていた。
ある寒い夜に百福は、阪急電鉄梅田駅裏手の闇市で、20~30人が並ぶ行列を見かける。行列の先は一軒のラーメン屋台だった。湯気の先では温かいラーメンをすすり幸せそうな笑顔が見える。
「衣食住というが、食がなければ衣も住もあったものではない」
36歳になっていた百福は「食」を仕事にする決心を固めた。
■「失ったのは財産だけ。そのぶん、経験が血や肉となって身についた」
1948年、製塩工場を営んでいた百福は脱税の疑いでGHQに拘束、巣鴨プリズンに収監されてしまう。