日本とは圧倒的に違うヨーロッパの美しい墓地を紹介

心に残る家族葬

日本とは圧倒的に違うヨーロッパの美しい墓地を紹介

「墓地」と聞いて、明るい雰囲気を思い浮かべる人はあまりいないだろう。日本の墓地は、やはり「ちょっと暗くて悲しい場所」「お墓まいり以外では訪れない場所」そんなイメージだ。しかし、海外に目を向けてみると、市民が日常的に散歩をしたり、サイクリングを楽しんだりする憩いの場のような墓地や、海外旅行の観光ガイドにも載る美しい墓地がある。今回は、そんな中からいくつかの墓地を紹介したい。

■北欧デザインを極めたスウェーデンの「森の墓地(スコーグスシュルコゴーデン)」


スウェーデンの「森の墓地(スコーグスシュルコゴーデン)」は、首都ストックホルム南部に位置する敷地面積約100ヘクタールの広大な墓地である。

この墓地は、スウェーデンの建築家エリック・グンナール・アスプルンドとシーグルド・レーヴェレンツの設計により、1915年から1940年という長い時間をかけて完成した。地形をそのまま生かした自然の中に、約10万の墓地、礼拝堂、火葬場、散骨場などが融合しているこの墓地は、宗派を問わず葬儀が行えるという、実用面で非常に優れた墓地である。

それと同時に、北欧モダン建築の巨匠と言われる建築家たちによる計算され尽くした設計により、洗練されたデザインの建築物と豊かな自然が、遺族の悲しみを和らげられるよう、細部まで考慮して配置されている。美しい自然の中で、実用性とデザイン性を共に生かし「人は死ぬと森へ還る」という、スウェーデン人の死生観を建築で表現したこの墓地は、1994年に世界文化遺産に登録された。
建築家アスプルンドは、この墓地の完成と同じ1940年に55歳という若さで亡くなり、生涯を賭けて取り組んだこの墓地で安らかに眠っている。

■アドリア海に浮かぶ墓地の島「サン・ミケーレ島」


イタリアのヴェネツィア北部に、サン・ミケーレ島という墓地として使われている島がある。なぜそんな島が出来たのか、それは、ヴェネツィアの特殊な歴史にある。

7世紀頃、敵の襲撃から逃れるため、本土から湿地帯の干潟に移り住んだ人々が、干拓を進めて誕生した街がヴェネツィアである。その後、地中海貿易で栄華を誇るが、同時に東方から持ち込まれたペストにより死者が増大。土地の少ないヴェネツィアにとって、墓地の問題は大きかった。

19世紀、ヴェネツィアを征服したナポレオンは、衛生上の問題を考えて、分散していた墓地をサン・ミケーレ島へ集結させる事を決定。それ以降、サン・ミケーレ島は墓地の島となり現在にまで至っている。今もヴェネツィアには、水路以外に交通手段はない。ヴェネツィアで人が亡くなると、ご遺体はゴンドラ(又は専用ボート)に乗ってサン・ミケーレ島へと向かう。

糸杉に囲まれた、墓地と美しい教会だけの静かな死者の世界。この島は、ヴェネツィア人にとっての帰着点なのだ。もしイタリアを訪れるなら、この島へ渡り、ヴェネツィアの歴史を思ってみるのも良いのではないだろうか。

■その他の海外の興味深い墓地


日本とヨーロッパでは、墓地の概念に違いがあるようで、今回ご紹介した墓地以外にも、ヨーロッパで最も美しいと言われる庭園のようなクロアチアの「ミロゴイ墓地」や、誰も埋葬されずにリトアニアの抵抗の歴史を無言で物語る「十字架の丘」など、興味深い墓地がたくさんある。

海外旅行はそう簡単に行けるものではないが、興味がある方は、ぜひ調べて知ってほしいと思う。

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