悲劇の聖女・井上内親王の伝説。謀略と裏切り、理不尽な死からまさかの結末!? (5/5ページ)

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と言っても光仁天皇はとっく(天応元782年12月23日)に崩御され、皇位は山部親王(桓武天皇)が継承していましたが、今さらでも何でもご機嫌をとらねばならないほど、井上内親王が恐ろしい怨霊となっていたことがわかります。

しかし、その息子である他戸親王についてはなぜかそのままとなっています。

当初は「井上内親王の子供だから」という理不尽な理由で罪に落とされたはずが、時代が下って平安時代ごろには「むしろ息子の悪行が母親の冤罪につながった」という見方が強まり、他戸親王にとってはいい迷惑ですね。

まとめ

幼くして神に仕え、苛烈な権力抗争の中でパートナーと巡りあうも側近たちに裏切られ、非業の死を遂げた後は怨霊となって復讐を遂げ、名誉を回復した井上内親王。

現在、彼女の御魂は奈良県五條市の御霊神社をはじめ、各地の御霊神社で他戸親王らと共にお祀りされています。

彼女たちが安らかであるよう、そしてより多くの方に心を寄せられるよう願っています。

※参考:榎村寛之『斎宮 ―伊勢斎王たちの生きた古代史』中公新書

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