吉井怜に渡辺謙、T-BOLAN「難病を克服した」有名人たち

日刊大衆

吉井怜に渡辺謙、T-BOLAN「難病を克服した」有名人たち

 きらびやかの世界で華々しく活躍する芸能人たち。一般人から見れば、不安や悩みとは無縁なように見えるが、実は私生活で大変な病魔と闘い、克服した人たちがいる。

 女優でタレントの吉井怜は、高校を卒業したばかりの2000年7月に、急性骨髄性白血病を発症した。

 急性骨髄性白血病は赤血球や血小板などの血液細胞が、がん化する病気。正常な細胞が十分に作られず、貧血や発熱などの症状が表れ、免疫力も低下してしまう。

 吉井は抗がん剤による治療の末、2001年7月に母親から骨髄を移植する手術を受けた。壮絶な闘病の様子は2002年に9月5日に発売され、ベストセラーになった『神様、何するの… 白血病と闘ったアイドルの手記』(幻冬舎)の中で赤裸々に語られている。同作品は『ハートのダイヤモンド-吉井怜物語-』のタイトルで漫画化、『神様、何するの…』(フジテレビ系)のタイトルでテレビドラマ化された。

 現在も年1回通院して経過を確認しているが、健康状態に不安は出ておらず、2016年11月11日には俳優の山崎樹範と結婚した。

 俳優の渡辺謙も、急性骨髄性白血病に侵された1人。1989年に発症し、約1年間の闘病生活を送ってから復帰するも、5年後の1994年に再発してしまった。再び約1年間の治療に挑み、見事に完治させ、2003年公開のアメリカ映画『ラストサムライ』で世界的に認められた。2006年5月3日に発売された著書『誰? - WHO AM !?』(ブックマン社)の中で、2度目の白血病の治療中に受けた輸血が原因で、C型肝炎ウイルスに感染していたことも告白した。

 また2016年2月9日には、人間ドックで早期の胃がんが発見され、内視鏡手術を受けたことを公表したが、約1か月で舞台に復帰している。

 90年代に活躍した人気バンド、T-BOLANはメンバー4人のうち、2人が大病に襲われた。ボーカルの森友嵐士は、人気絶頂だった1994年に、ほとんど歌えない状態に陥った。1999年12月に心因性発声障害という病名がついたが、原因も治療法も不明という診断を受け、自らメンバーにT-BOLANの解散を申し出た。それから10年がたった2009年に、森友は音楽活動を再開。

 2012年10月には、約13年ぶりにオリジナルメンバーが再集結し、ライブツアーを行って復活。そのまま完全復活かと思いきや、2014年4月に再び活動を休止してしまった。

 そんな中、2015年3月にベースの上野博文が、くも膜下出血で倒れた。意識不明の危険な状態に陥り、手術を受けて一命は取り留めたが、高次機能障害を発症した。奇跡的な回復を遂げて退院に漕ぎ着けた後で、メンバーたちによる「上野のリハビリの力、目標になれば」という想いから、16年12月31日に一夜限りの再結成ライブを開催した。

 そしてT-BOLANは2017年6月から活動を本格的に再開し、同年8月16日には約21年ぶりとなる新曲を収録したベストアルバム『T-BOLAN 〜夏の終わりに BEST〜 LOVE SONGS+1 & LIFE SONGS』をリリースし、完全復活を果たした。

 難病に侵されて、つらい時期を送っていたことがある芸能人たち。苦悩と病魔を乗り越えて、帰ってきた彼らの姿を見ていると、頑張って生きようと思える大きな勇気が湧いてくるかもしれない。

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