武豊4000勝インタビュー「あのときが最高の瞬間でした」

日刊大衆

武豊4000勝インタビュー「あのときが最高の瞬間でした」

 9月29日、前人未到となるJRA通算4000勝を達成した日本が誇る天才騎手・武豊。今後、おそらく塗り替えることは不可能であろう偉大な記録を打ち立て、なおも前へ前へ進み続ける鉄人に、「今まで語らなかった過去」、そして「これから目指す未来」について聞いた!

 あらゆる記録を塗り替えてきた“不世出の天才ジョッキー”武豊(49)が刻む新たな金字塔JRA通算4000勝のXデーは、いつなのか⁉ “タケメーター”まで登場し、さながら競馬界は狂騒状態。そして迎えた2018年9月29日、ついに、その瞬間はやって来た。

「これまで数字を意識したことはなかったんですが、周りがすごく盛り上がっていて。注目されているという意識はありましたね」

 台風24号の接近で朝から大荒れの阪神競馬場。3Rを勝ち、続く5Rの2歳新馬戦では、親交のあるタレントの木梨憲武が命名したゴータイミングで勝ってリーチ。

 記念すべき4000勝目は、一昨年8月に亡くなった、父の代から世話になっているメイショウのオーナー、松本好雄氏の愛馬、メイショウカズヒメで制し、大記録に華を添えた。

「ゴールした後、みんながうれしそうな顔をしているのを見たとき、あぁ、よかったと。うれしかったというよりは、ホッとしたという気持ちが強かったかな」

 ウィナーズサークルでは記念のレイ、プレート、ブルゾン、ビデオ、観戦証明書……と次々に記念品の封が開けられ、内緒で用意された特製のTシャツとキャップに身を包んだ騎手仲間が駆けつけた。

「あれには驚きました。誰か来てくれるだろうとは思っていましたけど、阪神競馬場にいた騎手全員ですからね。後ろのほうで、“歴史的瞬間やな”とか、“豊さんと同じ時代に騎手をやってて、よかった”とかいう後輩の言葉を、半分、照れくさく、もう半分は、すごくうれしく聞いていて。あのときが最高の瞬間でした」

■武豊に影響を与えた恩師たち

 そんな武豊が、現在の武豊となるまでには、3人の“恩師”が大きく影響している。一人は、“ターフの魔術師”と呼ばれた亡き父・武邦彦氏。2人目は、邦彦氏の弟弟子で、武豊の兄弟子に当たる河内洋元騎手(現・調教師)。

「小さい頃から、ずっと父に憧れ、父の背中を追って来たので、今の自分があるのは父のおかげです。河内さんは、技術的なことをあれこれ言葉で言う人ではなかったので、ずっと後ろにくっついて、真似をしていました。覚えているのは、“うまく乗らなくてもいいから、とにかく一生懸命に乗れ”という言葉です」

 そして最後の一人が、故・武田作十郎調教師だ。

「先生から口を酸っぱくして言われた、“いいか、豊。技術だけうまくなっても、いい馬乗りにはなれない。みんなから信頼される騎手、誰からも愛される騎手になりなさい”という言葉は、今でも僕の心のど真ん中にあります。もし先生が、この記録を知ったら? うーん、なんて言うかな⁉ よく頑張ったって、喜んでくたらうれしいですね」

 どんなときでも目の前の1勝を大切にしたいそう語る武豊が、4000勝達成のインタビューで伝えたかったのは、すべての馬、すべての人への感謝の気持ちだった。

「これまで騎乗したすべての馬、その馬に携わってくださったすべての方、家族、友人、どんなときでも僕を応援し続けてきてくれたファンの方……数えきれないほど多くの方に支えられて、今の僕がある。感謝の気持ちでいっぱいです」

■武豊引退のときは……

 いつでも、どんなときでも冷静沈着。ときには皮肉を交えながら、ときには厳しい言葉で、淡々と思いを語る武豊。そんな武豊をちょっと困らせてみたくて、こんな質問をぶつけてみた。ケガで思うように勝てなくなったとき、騎手をやめたいと思ったことはないですか?

「ないですね」

 間髪入れずに言葉を返すと、自分の胸の裡を探るようにしながら、ゆっくりと続けた。

「結果が出ないときは、自分の中でもムードが良くないなぁとか、今週も勝てそうな馬がいないなぁとか、そんな気分になったこともあったけど……僕も人間ですから(苦笑)。でも、もういやだとか、もういいかなと思ったことは、騎手になってから今日まで、一度もないですね」

 金曜は、土曜のレースのことを考え、土曜の夜は日曜のレースをシミュレーションするなど、とにかく集中するという。

「レースを終えて家に帰りながら、“あそこは、こうだったなぁ”とか、“この馬は次、あのレースが合いそうだなぁ”とか思いを巡らせ、月曜は競馬雑誌、録画しておいたレースを見ます」

 火曜は、調教の打ち合わせや、トレーニングで、水、木は調教……毎週がその繰り返し。でもと目を輝かせた武豊は、「なぜか、それが飽きないんですよねぇ」と白い歯を覗かせた。

「乗れば乗るほど競馬は難しいと思うけど、乗れば乗るほど競馬は楽しいし、面白いと思う。これって、何なんでしょうね?」

 逆に聞き返されたが、その答えは、すでに武豊自身の中にはあるのだろう。それを自分の中で楽しんでいる。それもまた、武豊の武豊らしいところだ。

「変わったのは、お酒が弱くなったことくらい(笑)。その他は、デビュー当時と、ほとんど変わっていません。馬に対する思いも、競馬に対する気持ちも一緒。若い頃から自由にやらせてもらってきたし。そりゃあね、ちょっと調子に乗っていた時期もあったけど(苦笑)。今思うとですけどね。怖いものなしみたいな。でも、それもこれも全部をひっくるめて、今の武豊があると思っているんですよね」

 胸を張った武豊が、昨日でも、今日でもない、明日からのことについて話をしてくれた。

「来年、キズナの仔がデビューするんですよね。もしも、キズナの仔で日本ダービーを勝ったら、ディープインパクト、キズナに続く父子三代制覇になる。これって、すごくないですか?」

 馬だけではない。武豊が騎乗して勝った場合、ディープインパクト、キズナと同一騎手による父子三代制覇という、とんでもない偉業を達成することになる。

「僕が初めて日本ダービーを勝ったのが20代。で、30代でも40代でも勝たせてもらって、来年の3月には50歳になる。もし50代でダービーを勝って、それがキズナの仔だったら、こんなにうれしいことはないですよね。

 また、ケガで乗れなくなるとか、思うように勝てなくなるとか、この先もいろんなことがあると思うけど、ジョッキーというのはそういうものだし、それが騎手という職業ですからね。慌てず、騒がず、目の前のレースに集中していれば、必ず道は拓けると信じているんです」

 10月22日発売の『週刊大衆』では、これに続く武豊インタビューを掲載している。

「武豊4000勝インタビュー「あのときが最高の瞬間でした」」のページです。デイリーニュースオンラインは、武豊エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧