狩ったのはタヌキ?ムジナ?裁判沙汰にまでなった大正時代の「たぬき・むじな事件」

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狩ったのはタヌキ?ムジナ?裁判沙汰にまでなった大正時代の「たぬき・むじな事件」

「同じ穴のムジナ」という慣用句がありますが、これはムジナもタヌキも実は同じ動物で、同じ巣穴に棲んでいることから「善人そうに見えて、実は悪人とグルだった」みたいなネガティブな意味で用いられます。

寺島良安編『和漢三才図会』より、ムジナ(貉)。正徳ニ1712年。

それじゃあ「ムジナ(貉)という動物は実在しないのか」と言うとそうでもなく、二ホンアナグマやハクビシン(白鼻芯)を指したり、更にはムササビ(鼯鼠)やモモンガ(摸摸具和)までごっちゃになった「マミ(猯、魔魅)」の概念と混同されたりなど、実にあいまいな状態です。

大正時代、そんなムジナのあいまいさが原因で訴訟に発展、当時の最高裁判所である大審院にまでもつれ込んだ事件がありました。

世に言う「たぬき・むじな事件」です。

男が「ムジナ」二頭を狩ること Wikipediaのパブリックドメインより。

二十二年式村田連発銃。

時は大正十三1924年2月29日、栃木県上都賀郡(現:鹿沼市)のある男が、村田銃を担いで猟犬と一緒に山(同郡東大蘆村大字深岩)へ狩りに行きました。

男はさっそく「ムジナ」2頭を発見しましたが、初っ端から弾薬を浪費したくありませんでした。

そこで男は、とりあえず洞窟に「ムジナ」2頭を追い込んで閉じ込めておき、本命の大物を狙うため、より山奥へと進んでいきました。

その3日後の3月3日、果たして大物が獲れたかどうかはご想像にお任せするとして、帰り道。

洞窟の入り口を開けて、閉じ込めておいた「ムジナ」を2頭とも射殺。せめてもの?収獲として持ち帰ったのでした。

タヌキか?ムジナか?勝負は法廷へ

タヌキ?いいえ、ムジナです。

……が、山から「ムジナ」を狩ってきた彼を見た警察は、狩猟法に定める禁猟期を犯したとして彼を逮捕。警察は彼の狩った動物を、3月1日以降は禁猟となる「タヌキ」と判断。

「『タヌキ』を射殺したのは3月3日だから、禁猟期違反だ!」

しかし、彼は反論します。

「馬鹿言いやがれ。俺が撃ったのは『ムジナ』だ!そもそも俺がムジナを『狩った』のは洞窟に閉じ込めた2月29日、殺すのが3日延びただけで、仮にこいつが『タヌキ』だったとしても、てめぇらにとやかく言われる筋合いはねぇやい!」

さぁ、撃ったのはタヌキか、狩ったのはムジナか。

男と警察の喧々諤々たる口論は収まらず、それなら「お白州で決着つけようじゃねぇか!」「望むところだコンチクショウ!」と、訴訟の火ぶたが切って落とされたのでした。

一審は有罪……しかし男は

……が、一審は無情にも「有罪」。

「バカもん。タヌキとムジナが同じ生き物だってことくらい、今どき常識じゃろうが。屁理屈ばっかりこねくりおって!

そんな判決を前に、警察もさすがに「やーいやーい」とは言わなかったでしょうが、内心「それ見たことか」と嘲笑うくらいはしていたかも知れません。

しかし、それしきのことで諦める男じゃありません。

「冗談じゃねぇぞ!だいたい俺だけじゃねえ!タヌキとムジナが別の生き物だってことは昔ッから言い伝えられてきたし、だったらムジナも禁猟にしやがれコンチクショウ!」

とまぁ、実に往生際の悪い男ですが、その後も控訴・上告と争い、ついに勝負は大審院へもつれ込んだのでした。

さて、大審院の判決は?

年もまたいで大正十四1925年6月9日、男はついに「逆転無罪」を勝ち取りました。

結局タヌキはタヌキでしたが、男が「ムジナ」を洞窟に閉じ込めた2月29日時点で「狩った」、つまり元から猟期を守っていた=違反していないものと解釈されたのでした。

ただし、判決文の中には「昔からタヌキとムジナが混同されやすい」ことについても言及されており、もしかしたら、情状酌量の一助となったのかも知れません。

これがごくざっくりとした「たぬき・むじな事件」の顛末であり、現代でも刑法第38条に規定される「事実の錯誤」の好例(テキスト)として伝わっています。

大の大人が国ぐるみでタヌキかムジナか争うさまは、なんだかまるで化かされたようです。

そんな今からたった百年ばかり昔の、ムジナにまつわるお話でした。

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