人気登山道の開削者。レジェンドとなった猟師・小林喜作の数奇な人生 (3/3ページ)

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同行者に縄張りを異にする猟師がいたことや、生き残った一人が雪崩をかき分けて這い出てきたという証言に信憑性がないこと、雪崩が起きそうな小屋に喜作が寝るわけがないこと、彼の財布に入っているお金が少ないことなどが疑惑に拍車をかけました。

結局検証したものの確たる証拠はなく、この一件は「不運な事故」として収束します。また、喜作を妬んだ者もいるが、喜作自身は人柄も良く、たくさんの猟師から慕われてもいました。

しかし喜作の弔い中に墓が動いたとか、喜作の猟犬が引き取り手の家から逃げ出し山を彷徨っているなど、近隣の村々では喜作の死のショックがしばらく残っていました。

喜作の功績

喜作の死後、山小屋「殺生小屋」は人の手に渡り現在は「殺生ヒュッテ」として営業しています。風雨に耐えられるよう、喜作と家族が積み上げた石垣は堅牢で安心感を与えてくれます。

北鎌尾根という当時未登攀の極めて危険なルートを初めて案内したり、陸地測量部の測量官らと共に測量作業にも参加しました。

彼が作った道は、いたずらに人を遭難せしめること無く、無事に頂上へと導く絶景の登山道として、たくさんの人に愛されています。

登山道にある喜作のレリーフ

普段語られることのない、名も無き猟師が人生を賭して登山客に見せたかった風景。それを確かめに北アルプスに行ってみてはいかがでしょうか。

安曇野市公式サイト

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