“昭和のサムライ”金田留広逝く「二宮清純のスポーツ一刀両断」

日刊大衆

 昔、子だくさんは当たり前だったが、4人もプロ野球選手を世に送り出したのは金田家と明、二郎、昇、渉の野口家だけである。金田家の次男・正一は言わずと知れた400勝投手。三男・高義、四男・星雄も国鉄に在籍していた時期がある。正一に次いで活躍したのがさる10月2日、71歳で他界した留広だ。東映・日拓、ロッテ、広島で通算128勝をあげた。

 勝ち星では次男にはるかに及ばなかったトメさんだが、「ひとつ勝っていることがある」とよく語っていた。トメさんは1年目=18勝、2年目=24勝、3年目=15勝、4年目=20勝と、入団以来4年連続で15勝以上をマークしているのだ。ドラフト制導入後、4年連続で15勝以上を記録しているのはトメさんの他には野茂英雄だけ。もちろん兄・正一はドラフト制導入以前の入団だが、「アニキ(正一)でも1年目は8勝に終わっているんだ」とトメさんは力説していた。

 トメさんが不振に見舞われたのは入団5年目の1973年。7勝16敗と大きく負け越した。何が原因だったのか。「遊び過ぎたんや。カネはあるし、女にはモテる。勝って嬉しい銀座、負けて悔しい銀座。もう毎晩、銀座で飲み歩いていた。昔は、そんな選手ばっかりやったけど、今はおらんやろうね」 憎めない人だった。

 トメさんには“伝家の宝刀”があった。高い位置からまるで急ブレーキでもかけたかのようにストンと落ちてくる独特のカーブだ。兄・正一の直伝だった。このカーブを武器に最多勝(72年、74年)に2回、MVP(74年)に1回輝いた。

 “トメさん節”が炸裂したのは80年6月12日、王貞治に850号を打たれた直後だ。トメさんは広島のユニホームを着ていた。「私は日本一のカーブを投げるピッチャーだと自負している。そのカーブを打った王さんは素晴らしい」

 当代きっての“カーブ職人”は、コメントも一筋縄ではいかなかった。昭和の残照が、またひとつ消えた。

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