長嶋茂雄、巨人新監督・原辰徳との知られざる「絆」

日刊大衆

長嶋茂雄、巨人新監督・原辰徳との知られざる「絆」

〈ジャイアンツは、永遠でなければならない。ジャイアンツは、多くのファンの期待に応えるために、常に勝たなければならない〉

 10月23日、巨人軍は原辰徳新監督(60)の就任を発表。会見の席上、山口寿一オーナー(61)が、現在入院中である長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(82)からの談話として、この言葉を読み上げた。

「病床のミスターは、山口オーナーから原の監督復帰について相談を受けた際、即座に賛成したといいます。しかも“原なら必ず巨人を立て直せる!”とまで言い切ったそうです。どうも、前々から“次は原が適任”と考えていたみたいですね」(スポーツ紙ベテラン記者)

 病床の長嶋氏が会見にメッセージを寄せたのは、原新監督を応援したいという純粋な思いゆえだろう。しかし、その言葉自体は、新監督へのエールというより、巨人監督を務めるにあたっての“訓示”のような厳しさも感じられる。

「ただでさえミスターからの言葉は、プレッシャーになりかねません。それでも、あえて強い言葉を送ったのは、原新監督への大きな“信頼”があってこそ。高い期待の表れとも言えます」(前同)

 長嶋氏といえば、松井秀喜氏(44)との師弟関係が有名だが、実は原氏とも強い“絆”で結ばれている。

「原さんが指導者の道に進んだのは1999年。第二次長嶋政権下で1軍総合コーチを務めたのが最初でした。ここから長嶋監督は自分が勇退するまで、原さんに帝王学、つまり巨人監督のあるべき姿をとことん叩き込んでいった。後にも先にも、ミスターが育て上げた指導者は原さんしかいないんです」(巨人番記者)

 だが、もともと原氏は、長嶋氏が起用した人材ではなかったという。「原を入閣させたのは、藤田元司元監督でした。当時、読売グループの首脳陣から“ポスト長嶋”の候補者選定を依頼された藤田さんは、迷うことなく原を選んだ。そして、現場の意向抜きでコーチに据えたんです」(前出のベテラン記者)

 藤田元監督は、ドラフト1位で4球団が競合した原を、自ら引き当てた人物。そして巨人の主軸へと育て上げた、いわば原の恩師だ。

「当時の原が、“藤田派”だったのは周知の事実。しかし、それでもミスターは“よく帰ってきてくれた”と原を快く迎え入れたといいます。それはひとえに“巨人を任せられる器”と、原を高く評価していたからにほかならない。だからこそ、巨人の将来のために惜しげもなく、自らの監督理論を伝授していったわけです」(前同)

 そんな長嶋氏の“英才教育”によって、原氏は指導者として成長していく。

「試合後には、監督室で2人、その日の采配を振り返っていました。原さんが“あの場面で、どうして、あのサインを出したのですか?”と質問すると、ミスターは戦国時代の武将や合戦のたとえを使って、戦術を丁寧に解説してくれたそうです」(前出の番記者)

 原氏が学んだのは戦術だけではない。FA制度を貪欲に活用して、中心選手を次々補強した長嶋氏のように、原氏も監督時代、FA補強には積極的だった。

「当時の長嶋監督が“なんでも欲しがる”とメディアに叩かれても、まったく意に介さなかったのは、“巨人は常勝でなくてはならない”という強い信念があったからです。そのミスター流の理念を、原監督はちゃんと受け継いでいるということでしょう」(前同)

 長嶋氏の後を受け、監督に就任した原氏は、2度の監督就任期間で、リーグ優勝7回、日本一3回という、川上哲治元監督に次ぐ実績を残すことになる。

 まさに“愛弟子”と言える存在になった原氏は、「すっかりミスターに心酔」(前出の番記者)し、〈僕は長嶋さんの縁でコーチになったわけではない。それでもよろこんで迎えてくれて、いろいろなことを教えてもらった〉と、感謝の言葉を口にしていたという。

 さらに現在発売中の『週刊大衆』11月12号では、退任した高橋由伸前監督、そして巨人監督就任が熱望される松井秀喜氏へのミスターからのメッセージを公開している。

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