龍馬暗殺の嫌疑で流罪、謎の死を遂げた最後の新撰組隊長「相馬主計」とは?

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龍馬暗殺の嫌疑で流罪、謎の死を遂げた最後の新撰組隊長「相馬主計」とは?

新撰組最後の隊長、相馬主計

相馬主計

相馬主計(そうまかずえ)という人物が新撰組最後の隊長といわれてピンと来る人は少ないでしょう。土方歳三が函館五稜郭にて戦死したと同時に瓦解した、と思っている人も多いのではないでしょうか。事務的とはいえ戦後の責任を追う立場として隊長を引き受けたのが相馬でした。

五稜郭の弁天台場を任されていた新撰組残党が新政府軍に降伏した際の名簿に、隊長として相馬の名前があります。

いつから新撰組に入隊?

出自は常陸国笠間藩。慶応元年(1865年)に脱藩しますが、江戸幕府の歩兵徴募に応じ、第二次長州征伐では三津浦(現愛媛県松山市)に駐屯しました。その後新撰組に入隊。

幕府軍と新撰組は鳥羽伏見の戦いで敗戦、その後江戸無血開城が成されると、勝海舟により「甲府城を守ってくれないか」と進言されます。言い換えれば、幕府に忠信を誓っている武士たちの厄介払いとも言える処置です。

新選組は甲陽鎮撫隊と改め、相馬はそこで局長付小姓に就任しました。

しかし甲府城を先に新政府軍に押さえられてしまったため、現千葉県の流山まで退却。そこも包囲され、覚悟を決めた近藤勇は新政府軍に投降します。

薩摩藩士・有馬藤太によると、敵陣のなか歩いてくる近藤勇の脇で、白刃をくるくると回しながら護衛していたのが小姓の相馬主計と野村利三郎。

近藤は「ここでお別れ」とばかりに二人に短刀などを授けましたが、「(総督府のある板橋まで)お伴したい」という彼らの願いを有馬藤太が聞き入れます。

近藤勇は「大久保大和」と変名していましたが、身元がばれて捕縛後に処刑。相馬も捕縛されますが近藤の嘆願により処刑を免れ、国元の笠間藩で謹慎の身となりますが脱走。上野彰義隊を経て仙台に転戦していた土方歳三と合流します。

近藤勇(国立国会図書館より)

錦絵「勝沼駅近藤勇驍勇之図」Wikipediaより

土方歳三は蝦夷共和国で「陸軍奉行並」に就任、激戦ののち明治2年5月11日に戦死し、新撰組残党も投降したのです。

函館戦争に参加した医師・高松凌雲の書簡によると、相馬が隊長に就任したのは明治2年(1869年)5月15日。戊辰戦争終結は5月18日なので、相馬が新撰組隊長だったのは、たった三日間だったことになります。

弁天台場 Wikipediaより

新島に流罪、東京にて謎の切腹

明治3年(1870年)10月10日、相馬は伊東甲子太郎暗殺や坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられ、伊豆七島の新島に流されます。

そこで大工の棟梁である植村甚兵衛に身柄を預けられ、甚兵衛の次女マツと結婚して寺子屋を開きます。島では人望も厚く、師と仰がれ穏やかに過ごしていたようです。

それもつかの間、二年後(明治5年)の10月、流刑制度廃止のため赦免となり妻とともに東京・蔵前に移り住むことに。明治政府の役人として各地方に派遣され順調に昇進していきましたが、明治八年に突如免官されます。元薩長藩士らともめたなど色々憶測はありますが、本当の理由はわかっていません。

そしてある日、相馬は妻が出かけている間に、突然割腹自殺を遂げてしまうのです。相馬は妻に他言無用と言い残しており、辞世の句や遺書など残しておらず、また妻も詳細を語っていないことから、詳しい動機は今でも不明です。

出身の笠間藩は現在の茨城県笠間市にあり、尊皇思想の強い水戸藩の影響も強かったようです。戊辰戦争では新政府側につき、会津を攻めています。

相馬も尊皇思想が強かったようで、新島時代の明治四年と赦免後の明治六年に書かれた『贈友談話』では、幕府軍に汲みしたことを後悔しているような記述もあります。ならば、新政府で後ろめたい気持ちになる必要もないはずです。

妻と共に東京に出てきたときは明らかに「生きよう」と考えていたに違いなく、死を決意するからには深い理由があるのでしょうが、本当の動機は推し量るしかありません。

生粋の佐幕でもなく、かといって元薩長の人間には信用されず、精神的に行き場がなくなったのでしょうか?東京に出ず新島で暮らしていたなら、もしかして天寿を全うしていたかもしれません。

最後に、新島を離れるときに残した句を紹介します。

「さながらに そみし我が身は わかるとも 硯の海の深き心ぞ」

硯のように暗い海の底がわからないように、自分の思いは誰にもわからない、と言う意味のようです。句は石碑に記されています(新島村)。あなたはこの詩から、どのようなメッセージを受け取りますか?

参考文献:『新撰組始末記』(子母澤寛)、『贈友談話』日野市立新選組のふるさと歴史館蔵、『新選組全隊士徹底ガイド』(前田政記) トップ画像:「箱館大戦争之図」永嶌孟斎画 相馬主計

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