死は恐ろしいが死が永遠に訪れないことも恐ろしい。死が教える生の尊さ。 (2/3ページ)
■不死は幸せか
しかし、この「遺体」が、もし数百年後に蘇生できたとして、その人たちに何が残っているだろう。家族、友人はすべて世を去っている。誰もいない誰も知らない世界で精々何十年生きるだけのことではないのか。そのような浦島太郎は果たして幸せなのか。生きることは辛い。しかし永遠に生き続けることはもっと辛いとは言えないか。
■不死をテーマにした手塚治虫の「火の鳥」
手塚治虫の「火の鳥」は、永遠の命を巡る人間たちの業の物語だ。この作品の事実上の最終話「未来編」では火の鳥の血を取り込み、不老不死に「なってしまった」男の悲劇が描かれている。不死となった男は人類が滅んだあとも死なずにいた。地球にひとりぼっちになってしまったのだ。
男は「3000年後に覚醒する」と書かれたコールドスリープのカプセルを発見する。男は彼が目覚める3000年後を心の支えとして生きた。しかし3000年後のその日、装置の故障か、冷凍技術が未熟だったか、「彼」は粉々に砕け散っていた。
男にとって「彼」の覚醒を待つ3000年は幸せだったはずだ。その間、男はひとりぼっちでなかった。しかし再び男は、誰もいない世界に永遠に生き続けることになった。
■藤子・F・不二雄の「21エモン」にも登場する不死の星
漫画の話が続くが、藤子F不二雄の「21エモン」には、科学が発達しすぎて人が死ななくなった星が登場する。この星には「0次元」という安楽死施設があり、ここに行くと自己を「消滅」させることができる。この星では生きることに何の不自由もなく、人間がやることがなくなり、ただただ生きているだけの毎日に飽きてうんざりした人たちが「0次元」に行くのである。死ぬことではなく、生き続けることからの逃避であった。
確かに死は恐ろしい、しかし死なない世界というのも恐ろしいだろう。決して死にたいわけではない。むだが生き続けたくもない。勝手な話ではあるが、「いつか来る終わり」は必要だ。終わりがなければ、人間は怠ける。飽きる。生きることに飽きたらおしまいである。
■死が教える生きる素晴らしさや尊さ
今年3月25日、末期ガンと闘病していた女性 山下弘子さんが25歳で永眠した。