死は恐ろしいが死が永遠に訪れないことも恐ろしい。死が教える生の尊さ。 (3/3ページ)

心に残る家族葬

19歳で肝臓がんが発見され「余命半年」と宣告。山下さんは手術、再発、転移をくり返しながらも、新しい治療法の治験に協力したり、同じ境遇の人たちのための講演など独自の活動を展開していた。山下さんはガンである今について「幸せです」だと語っていた。死に向き合えばこそ生きているのことの素晴らしさを知ったのである。

不治の病に冒された人が病にむしろ感謝していると語ることは珍しくない。いずれの方たちも真剣に生きることができたからだと語っている。彼らは死に向かい合って初めて生きるということを知ったのだ。その意味では生きるためにこそ死はあるといえる。 そして限りある命を大切に生きようと思うのではないだろうか。

■最後に「生きた」と納得できるかどうかは死があればこそ

クライオニクスに身を委ねた人達は未来での復活を夢見て「死」ではなく「眠り」に入った。その家族も二度と会えないことに変わりはないが「死」ではないことで悲しみを埋めているのかもしれない。その意味で新しい埋葬方法といえなくもなく、その気持ちは十分理解できるものの「生」に執着しすぎている感も否めない。

筆者は山下さんや死と向き合って人生を全うした方々に共感を抱く。例え不老不死が実現しても宇宙の終わりは必ず来る。大切なのは例え残り1秒でも与えられた命をしっかり生きることだと思う。
そのような人は「死んだ」というよりむしろ「生ききった」と言うべきだろう。それを教えてくれるのはやはり「死」なのである。

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