記録が少ない江戸時代のレズビアン事情…女性の同性愛の環境はどのようなものだったの?

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記録が少ない江戸時代のレズビアン事情…女性の同性愛の環境はどのようなものだったの?

Japaaanではこれまでに江戸時代の様々な恋愛事情を紹介してきました。庶民の基本的な恋愛、吉原遊廓での遊女とのかけひき、男色文化…。

でも、江戸時代の女性同士の恋愛・レズビアンの文化は、様々な歴史書を読んでもほとんど紹介されていません。今回は、江戸時代の女性の同性愛・レズビアンについて探ってみたいと思います。

大奥、遊郭や女牢に多かった女性の同性愛

江戸時代以前の男性の同性愛を男色と呼ぶことが多いですが、男色に関連した記録は古い文献にも多く、浮世絵の題材になることも珍しいことではありません。しかし、女性同士の恋愛の様子を題材にした浮世絵はとても少ないです。

右の女性が男性器を模したオモチャを装着!

以下の作品は、一見すると女性同士のようにも見えますが、中性的な表情の若衆との行為を描いたものです。こういった中性的な若衆と女性の作品は結構多い。

左側は若衆

では実際に、江戸時代にレズビアンはほぼ存在していなかったのか?というとそれも違います。以下の記事でも紹介したように、男子禁制の女の園「大奥」や、江戸吉原の遊廓などでは、レズビアンは少なくなかったと言われています。そして女牢の中も同じく。

擬態的な同性愛という奇妙な風習。遊郭や大奥など「女の園」にあった類似点とは?

そして以下の記事にも少し触れましたが、男色の売春が行われていた陰間茶屋には女性客もいて、女装した若衆を買っていた女性もいることから、擬似的にレズビアンの行為を楽しんでいた人も存在していたことでしょう。

男娼がいる江戸時代の「陰間茶屋」客は男性だけではなく女性にも人気だった?

また、先に掲載した浮世絵と同じく、以下の作品も、一方の女性が男性器を模したアダルトグッズを装着し行為に及んでいるのですが、こういった器具が存在する時点で、一定数の需要はあったことがわかるわけです。(当時、アダルトグッズは海外からの輸入が多かったようです)

ではなぜ書物や浮世絵にはレズビアンに関連した記録が少なかったのでしょうか?

男はレズビアンの恋愛描写に興味がなかった?

ひとつは、江戸時代の文筆家や絵師はほとんどが男性で、女性は少なかったため、単純に女の園の隠された恋愛を知るものが少なく、書物に記録されることが少なかったということが考えられます。

また、浮世絵は需要のある題材を版元が絵師に依頼し制作するわけで、男性の数が多く男社会、さらには男色が現在よりもオープンであった江戸では、レズビアンの恋愛描写を好む者が少なかった。単純に関心がなかったことも理由の一つにあげられるでしょう。

もちろん、先に掲載したような浮世絵作品があるように、レズビアンの浮世絵や書物がまったく存在しなかったわけではありません。ちなみに女性同士の恋愛を文献に見ることができるのは、鎌倉時代に成立した擬古物語「我身にたどる姫」が最初と言われています。

大奥や遊郭、女郎のような場所的な事情で女性同士の恋愛を楽しむ人もいれば、生まれつきにして同性を愛する人もいたことでしょう。

現代では同性愛に対する偏見や差別が世界的に改善される傾向にあり、同性愛者であることを堂々と言えるあたりまえの環境が整ってきています。「同性愛者はこんなに多かったんだ」と感じている人もいると思いますが、江戸時代にも、今に残る文献への記録が少ないだけであって、同性愛者の数は現代と同じような割合だったのかも知れませんね。

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