天下人・家康も恐れをなした!?妖刀「村正」と徳川家にまつわる因縁とは (5/5ページ)

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信康が切腹する時、介錯人(首を斬り落とす係)には服部半蔵正成(はっとり はんぞう まさしげ)が指名されましたが、

「たとえ主君の命令といえども、主君のご嫡男に刃を向けることなどできません」

と辞退したため、検屍役(ちゃんと死んだか、遺体を確認する役)であった天方山城守道綱(あまかた やましろのかみ みちつな)が代行。

この時、道綱の差していた刀が、奇しくも「村正」だったのですが、後からそれを知った家康は、

【意訳】
「まったく不思議なことだ……村正は我が徳川家に怨みでもあるのだろうか。今後、村正の帯刀を禁止する。もし持っている者がおれば、すべて打ち捨てるように!」

【原文】
「さてもあやしき事もあるものかな。いかにしてこの作の当家に障ることかな。この後は差料の中に村正あれば皆取捨てよ」
※『徳川実記』より

と、度重なる因縁に恐れをなしたか、家臣たちに村正の所持・帯刀を禁ずるようになったということです。

終わりに

イメージ。

かくして「徳川に仇なす刀」として忌避されたことも手伝って、後世「妖刀」というイメージがついた村正ですが、その刃は時として「持つ者をして狂わしめる」と言われるのも納得の美しさ。

人を斬るため、殺すために産み出された刀としては、冥利に尽きることでしょう。

その後、二世紀半の歳月を経て挙兵した西郷隆盛はじめ維新の志士たちも「倒幕=打倒・徳川の象徴」として村正を好んだとされており、つくづく徳川家との浅からぬ因縁が偲ばれます。

村正(むらまさ)

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