天才テリー伊藤対談「原田龍二」(1)町の美化のために暴走族を退治して (2/2ページ)
中学の頃はアイドル全盛期で、友達は中森明菜さんとか小泉今日子さんのポスターを貼っていたんですけれど、僕だけアントニオ猪木さんのポスターを貼っていて(笑)。プロレスが大好きだったもので。
テリー わかるよ。俺も長嶋(茂雄)さんのポスター貼っていたから。
原田 最初の夢はプロレスラーになることだったんですよ。なので、夜中に1歳下の弟と、外でスパーリングをしたりしていましたから。
テリー 80年代はプロレス人気も高かったからね。
原田 特に当時の新日本プロレスは、猪木さん率いる正規軍と長州力さんの維新軍の戦いが熱い時でしたから。たまたま上野にある中学に通っていたので、学校帰りによく蔵前国技館に試合を観に行っていたんです。で、高校は私立に行ったんですが、かなり自由な校風で、金髪にピアスをいっぱいつけたパンクスとかが普通にいたので、ビックリしちゃって。
テリー それは、かなりのカルチャーショックだね。
原田 そうなんですよ。20歳の人が同級生にいたりして、それまで見たことがなかったカルチャーに影響を受けてしまって、授業中に安全ピンでピアスの穴を開けたりするようになりました。
テリー パンクファッションに目覚めちゃったんだ。
原田 確かに初めて金髪の人を近くで見た時、すごくカッコいいと思ったんですよ。でも彼はみんなと迎合しない一匹狼みたいな人だったので、そこにも憧れたんです。
テリー そうか、見た目は変わったけれど、心は硬派のままだったんだ。
原田 はい、自分の中では筋が通っていました。その後、「都会の不良はどういう感じなのかな」と気になって、チーマー全盛の時代に渋谷へ通い始めました。
テリー それって、ケンカ目的で?
原田 いえいえ、チーマーと友達になりたくて。ただ、暴走族がバイクに乗って渋谷に来た時は、バットで落としたりしてました。
テリー ひどい。それ、悪役レスラー以上じゃない。
原田 言われてみると、そうですね(苦笑)。でも、弱い者いじめをしたり、人に迷惑をかけるヤツが大嫌いなんですよ。だから、当時は「町を美化する」という名目で、そういうヤツを退治していましたね。